「二元論」と呼ばれるものがある。
善と悪。支配者と被支配者。自然と人間。男と女。――
そんな互いに対立する、あるいは対立するように見える、二つの項目を設定する。そしてその両者の相克こそが、この世界を動かしている、と説明するのだ。
もちろん実際の世界は、そうではない。無数の諸要素が、雑多に絡み合って成り立っている。
理智的な人間なら、複雑を複雑のままに、直覚的に把握することができる。
だが頭の悪い人間には、それがただの混沌と映る。入り組んだ秩序や、高次の規則性が、理解できないからである。
その有様は、かつてここで述べた通りだ。
そんな彼らが、二元論に出会う。
万物を思い切り単純化し、図式化した物語を吹きこまれる。
その瞬間、彼らは生まれて初めて、世界を理解する。
それまで彼らを悩ませていた「複雑」の謎が、バッタバッタと斬られていく。
広大無辺のはずの宇宙が、一望のもとに捉えられる。
彼らは確信するのだ。これだ! これこそが世界を実相を解き明かす、秘法であると。
彼らは生まれて初めて、世界を理解する。――
もちろん彼らの理解は、ただの誤解にすぎないのだが、その辺の区別は初めからつきはしない。
ただただ生まれて初めての「理解」の快感に、すっかり酔いしれている。
広大無辺のはずの宇宙が、一望のもとに捉えられる。――
だとしたらそれは、全知の神の視座に、自らを重ねることに等しかった。
「馬鹿」が「神」になってしまったわけだから、始末に負えないのだ。
その後のてんやわんやの茶番狂言は、すべてそんな彼らの、勘違いから引き起こされた。
……
*
信じてもらなえいだろうが、一昔前には世界の知識人の過半が、マルクス主義を信奉していた。
支配する者と、される者。二つの階級の闘いが社会を動かし、歴史を作ると考えた。
何のことはない。二元論である。
彼らもまた神となり、観念に酔った。
半ば据わった目で、口角泡を飛ばし、うわごとのように論じたものだ。
資本家と労働者。史的唯物論。プロレタリア独裁。……
共産主義こそが、人類の理想の未来であると、みんなが真顔で信じていた。
鉄壁の教義で、あらゆる疑念をはねつけて、理論武装した。
そのあまりにも明快な世界観を、理解できない哀れな衆生を前にすると、ご親切にも蒙を開こうとした。
あるいは反動主義者と指弾して、私刑の対象とした。――
そんなすべてが、ただの過ちにすぎなかったことを、その後の歴史が証明した。
今では共産国家なんて、北朝鮮と中国くらいしか残っていない。あまつさえ、それがあの有様なわけだ。
そのうえプーチンだってなんだって、共産主義から導かれた、当然の帰結でしかない。
自分はマルクス主義者ですなんて、今では恥ずかしくって、誰も言えやしない。
お前は昔共産主義を唱えたろう、と古傷をつつけば、顔から火を噴いて、必死に何か弁解するにちがいない(笑)
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最近で言うなら、フェミニストがそうだ。
何でもかんでも、女性差別だとわめく。
男と女の対立という、二元論で世界を理解する。差別と被差別という構図に、すべてを還元する。
世の中そんなに単純に、割り切れるもんじゃない。
実は目には見えないような、無数の小さなベクトルから成り立っていて。
そのすべてを足し算して合成すると、けっこう無難な線に、収まっていたりするもんだ。
だいたい、女がそんなに苦しいのなら、なんで女はみんなあんなに長生きなんだ?――
とかつて日本で一番の賢者が、指摘したのをもう忘れたのか。(参考)
馬鹿でも気づくことのできる、目立ったベクトルばかりに着目するから、そんな当たり前の背理法にも、気づくことができないんだ。
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男女差別だけではない。LGBTだ何だと、あらゆる反差別の声が、やたらとかまびすしい。
もちろん差別はけしからんが、何でもかんでもいっしょくたにやられると、だんだん腹が立ってくる。
やつらは出来合いの定規を持ってきて、世の中のあらゆるところを測って回る。
「隊長、ここにも差別がありました」と報告する。
みんなで騒ぎましょう。やっつけましょう、と扇動する。ワー、ギャーとわめく。
隊長が「よし」と言ったら、一斉に攻めかかる。
そりゃあ強引に当てはめれば、当てはまらいものなんてない。
だいぶはみ出てますけど、これも三角形ですよ、と強弁する。
状況も、文化も、伝統も、ニュアンスも。一切考慮されることとはない。
定規の形も目盛りも、何一つ自分で作ったものはない。借り物ばかりだ。
新しい基準を作り出す才覚なんて、もとよりやつらにありはしない。
正義派を気取って糾弾の声を上げても、誰かに書いてもらった原稿を、自動音声で読み上げているだけだ。一切の、脳波の針は揺れていない。
多弁で饒舌だが、知性のかけらも感じられない。
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ネットで何かと、「不適切だ」「不謹慎だ」と騒いでいる、正論屋がいるだろう。
何とか有名人を自殺に追い込もうと、それだけが生き甲斐の、カスどもがいるだろう。
あのウジ虫どもも、また根は同じ、本質は相通じている。
頭の悪い二元論者って、本当にいやですね。
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