<コロナ都市伝説>ジェットタオル、いまだ使用禁止

 ハンドドライヤーというものがある。まあ「ジェットタオル」の愛称(正確にはこれは三菱電気が商標登録した商品名)の方が有名かもしれない。

 都会のちょっとこじゃれたビルのトイレには、この装置がついている。洗った後の手を差し伸べると、猛烈な熱風を吹きかけて、たちまち乾かしてくれる。

 ハンカチを使わないから、汚さなくて済む。濡らさなくて済む。何てすばらしい現代文明の利器だろうと、古い世代の人間はみんな感心していたものだ。

     *

 ところがご存じの通りコロナ禍で、ジェットタオルは一斉に使えなくなった。
「新型コロナ対策として当面の間使用禁止」みたいな張り紙を張られてしまって、洗面台の横でただ空しく情けなく、ぽかんと口を開けていたものだ。

 何という、見当違いな言いがかりだろう。
 ジェットタオルで乾かすのは、石鹼で洗った後の手だ。たとえ石鹸なしの素洗いであったとしても、最後に残っているのは水道からの流水だ。そんなところにウィルスなんているはずがない。

 そのうえ騒動の直後に、メーカーはちゃんと実証実験を行って、結果を発表している。ウィルス拡散なんてありえないことが、科学的に検証されたのだ。
 それでもそんな理性の声には耳を貸さず、そのまま使用禁止は強行された。

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 まあ確かに、気持ちはわからんでもない。
 あのころはコロナは悪魔のように恐れられていた。かかったら最後、命はないかもしれない。感染力も強く、野火のようにたちどころに広まって、すべてを焼き尽くす。そんなイメージが国民を支配していた。
 施設の管理者だって、万が一のことがあって責任を問われてはかなわない。多少の不便は我慢してもらって、無難に無難に、安全策で立ち回ろうと考えたわけだ。

 だがしかし、である。
 WHOによるコロナ終息宣言、日本における5類以降からほぼ1年。みんなノーマスクの花見で、どんちゃん騒ぎを繰り返した今になっても、自分の知る限りジェットタオルの再開は、おそらくまだ2割にも満たないだろう。

 いったん染みついてしまった「危険」のイメージが拭えないのか。
 人間社会に置き換えるなら、すでに刑期を終えた受刑者が、世の中へ出てもその前科のために、いつまでも後ろ指をさされるようなものだ。
 しかもその「犯罪」は冤罪だったというわけだから、理不尽にもほどがあるだろう。

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 思い出すのは遠い昔の、暗愚の時代の迷信である。
 西洋からカメラがもたらされた幕末の日本では、写真を撮られると魂を抜かれる、とまことしやかに信じられた。
 公衆電話が普及し始めた明治には、電話線を通してコレラが伝染する、という噂もあった。

 時代が下って20世紀末のアメリカでは、変電所の送電線下の住民に、白血病やガンが多発するとの説が広まった。
 電磁波の影響が出るというわけだが、それで言うなら「携帯電話を耳に当ててばかりいると脳腫瘍になる」というバージョンも記憶に新しい。

 もちろんそのどれもが、それぞれの時代の都市伝説にすぎない。
 たちの悪い作り話とは言わないまでも、少なくとも現在の科学からは一蹴されるような、荒唐無稽な謬説でしかない。
 だが恐ろしいことに、そのころには誰もがそれを信じていたのだ。

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 誰もが? 否。もちろんそれは、無知蒙昧な一般大衆の話だ。悟性に勝った知識人や、慧眼な為政者は、そんなたわごとをけっして真に受けるはずもない。
 だがしかし現在の「民主主義」の時代には。今のこの大衆消費社会では。
 魯鈍なる衆愚の群れの気分こそが、盲目の力となって世の中を動かしていく。

 いったんそれが暴走を始めたら、もう誰も止めることはできない。ただただ呆れるような不条理の、なすがままになるしかない。
 ジェットタオルくらいの話で終わればいい。だが振り返れば、魔女狩りや民族大虐殺。翻ってわが国では、朝鮮人が井戸に毒を入れたの流言飛語。
 みんな彼ら・・がなした――なさしめたことばかりなのだ。

 そんなまがまがしい迷妄の歴史が、ふたたび繰り返すことがないことを、ただただ祈るばかりである。……

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