前書き

 昨今、有名人叩きが大流行である。

 誰それが何をした、何を言った、けしからん――と無数のネット民が、まるでスズメバチのように一斉に襲い掛かる。
 ベッキー某のときにならって、上流国民気取りのあいつらを何とか土下座させたい。望むらくは 社会的に葬りたい。あわよくば首くくりにまで追い込みたい、と執念深く攻撃を続けるのだ。

 彼らはたえずネットを巡回する。常に有名人たちの言動に目を光らせ、何か付けこむ余地はないかと、手ぐすねを引いているのだ。
 だがしかし、それはただ餌食を探すばかりではない。
 攻撃には、もちろん武器が必要だった。
 この場合武器とは、相手を言い負かしやりこめるための理屈であり、「論法」である。

 もちろん本来なら、武器は自力で組み立てるのが理想である。だが安直な大半のネット民は、代わりに借り物の武器で戦うことを選ぶのだ。
 「誰それが誰かを、こう言って攻撃している」彼らが探しているのは、そんな戦の情報である。
 そこで用いられている武器を――言説を点検し、これはいけると直観したら、攻撃に加勢する。
 そうだ、そうだとはやし立てて、勝ち組に乗っかかることで、彼らの勝利はより容易で確実なものになっていくわけだ。

 さてこの私はというと――私は平和主義者なので(もちろんこれはブラックジョークである)、自ら戦いに荷担することはない。
 ただ弁舌に関してはいささか腕に覚えがあるものだから 、それをこうしてブログで発信することで、攻撃のための武器を――アイテムを準備しよう。
 舌鋒鋭く論難するための鋒(ほこ)を、理論武装のための鎧を 、十字砲火のための連射銃を用意して彼らに提供しよう。
 何と太っ腹なことに貸与は無料である。思う存分、好き勝手にぶっ放して、使ってもらってかまわない。

 ただし言うまでもなく、使用はあくまで自己責任である。
 出刃包丁の刃傷沙汰の顛末には、鍛冶職人 一切関知しない。
 たとえ死人が出たとしても 、武器はあくまで用いた人間に罪があるのであって、自ら手を汚さぬ武器商人にはもとよりいささかの咎もあろうはずはないのだから。

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