<犬食文化>イヌ食って何が悪い? イルカ食って何が悪い?

 アメリカじゃ牛を殺して食うらしい、とヒンドゥー教徒が嘆いてました。
 自分たちの宗教では、牛は神聖な動物なのに、と激怒した。
 抗議のデモも考えたが、ヒンドゥー教徒の言うことなんて、どうせ誰も耳を貸しません。

 クジラを食うとはけしからん。犬を食うとは野蛮人だ、とアメリカ人がわめきました。
 とたんに世界中で、反対運動が起きました。
 犬食文化(注)の民族は、劣等とされた。まあ実際、劣等民族なんだが(笑)
 イルカの追い込み漁をすると、シー・シェパードがすっ飛んできた。(注)

 牛はいいけど、クジラはだめだ? その論拠は一体何なんだ?
 そんなもん、どこにもありはしない。頭の悪い人間にありがちな、ただの感傷的反応だろう。
 おおかたイルカと仲良く泳ぐ、映画でも見たんだろう。
 私たちのかわいいワンちゃんを、――あの子たちを手に掛けるなんて、とオイオイ泣き崩れているわけだ。

     *

 犬もクジラも、知能の高い動物です、って?

 牛の知能がどの程度なのか知らないが、どっちみち、命の尊さは知能で決まるわけじゃない。
 たとえば知能の低い人間は、高い人間のために犠牲になれ、とでも言うつもりか?
 
 そう言うおまえたちのIQが、100以上であることを、ただただ祈るばかりだ(笑)

     *

 知能であれなんであれ、要するに人間に近そうな「感じのする」ものは、大事にする。

 犬やクジラには、きっと私たちに似た魂があるから、食べるなんてとんでもない。
 牛やブタなら、そうでもなさそうだ。だからそちらで間に合わせましょう。
 ニワトリだったら、哺乳類じゃないから、もっと安心でしょう。――そういう発想自体が道理に合わない、ただの偏見にすぎないことが、まったくわかっていない。

 身内だけをひいきにする。自分たちに見た目が似たものに、価値を認める。優位思想ってやつだ。
 いつでも自分を中心に、物事を考える。固陋な文化の枠組みを、抜け出すことができない。
 そうやって、有色人種を差別し、異教徒を嫌悪してきた思考パターンが、またぞろ繰り返されている。

 ニワトリだって豚だって、見た目がああなだけで(笑)、オレたちと同じ魂がそこに息づいているんだよ。
 そのことに気づけないのは、ただお前らの目が曇っているから、脳みその作りがおそまつだからにほかならない。

     *

 それじゃあベジタリアンになりましょう、って言い出す馬鹿もいる。
 確かに動物の命は、すべてがかけがえがないけれども、植物なら別にいいでしょうと。

 どれだけ馬鹿なんだ。
 植物なんて岩や土くれと同じで、命も魂もないと、本気で思っているのか?
 別に最新の研究(注)を、勉強するまでもない。
 きれいに咲いている花を見れば、草木(そうもく)がいかに尊い存在かなんて、一目でわかるだろう。
 
 それじゃ何を、食べればいいのかって?
 別に食うな、と言っているわけじゃない。
 植物はもちろん食っていい。だがそれを言うなら、クジラだって、犬だって同じはずだろう。

 弱肉強食という言葉は、冷酷に響く。だが互いにかけがえのない命を、やり取りしあって生きるのが、自然の摂理なんじゃあないのか。
 今日も今日の糧をいただけることに感謝して、おいしく食事をいただくのが、すべての生き物の本然なんだ。
 その糧が植物だろうと、犬だろうと、区別はありはしないんだ。

     *

 ワンちゃんがかわいそう、だって?

 ペットなんていう畸形の存在を、作ってしまったことの方が、よっぽど動物虐待なんだよ。

 人間に尻尾振るだけの、世にも情けない生き物を。飼い慣らされた哀れな狼を、産み出してしまったことが、自然の姿に悖る。
 人間たちの身勝手だってことに、どうして気がつかないんだ?

コメント

  1. ウソクサい爺 より:

    ゴキブリやヘビは殺してもエエと小さい頃からすり込まれているのじゃナ~
    ワシは愛犬家なので中国へ行った際、犬をニワトリを捌く様に潰していたのに
    驚いたのじゃが、「ところ変われば品変わる」で食文化の違いにより
    命の差別化がされてしまうのは否めない噺やネ~
    牛肉、豚肉、鶏肉は全世界の食卓に欠かせぬものとなっている
    だから牛さん、豚さん、鶏さんは日々、殺されまくって
    我々の生命維持の為に貢献してくれている
    魚さんだってイカさんだってカニさんだって
    みんな皆んな生きているんだ友達なんだ~けど
    ワシに食べられちゃうんだよナ~

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