<パパ活少女は被害者か>
子供には罪がないという。
まあ二歳か三歳の子供なら、頭の中は空っぽなのだから、罪もないのかもしれない。
だが中学生や高校生の「子供」は、食わせ物だ。
あいつらはもう十分に、知恵をつけている。悪知恵だって働くはずだ。
子供は天使だなんて、嘘だよ。
特に最近の、マセガキどもの場合には。
たとえばパパ活希望の女子高生が、SNSに書き込みをする。
たちまち、エロおやじが引っかかる。
何かの拍子に発覚して、逮捕される。でも女子高生は、おとがめなしだ。
悪いのは、いつも大人の方だ。子供たちはいつも、かわいそうな犠牲者だ、ということになっている。
だけどそんな「公理」は、まさか今の場合には、当てはまらないだろう。
冷静に事態を眺めれば、加害者はどう見ても、相手を公募した女の子だ。
パパ活娘に誘惑されて、会社も家庭もぶち壊されて。身を滅ぼしたかわいそうな被害者は、エロおやじの方なのだ。
もちろん女子高生も、補導はされる。
それでもただ、やさしく諭されるだけで、こってり絞られるようなことはない。
たとえ子供の非は認めても、かわいそうな家庭に育ったせいだ、とされる。
むしろ悲劇のヒロインのような扱いで、記事になったりするのだから、あきれてしまう。
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<痴漢被害者の言葉は信用できるか>
子供には罪はない。
女はいつでもか弱く、かわいそうな犠牲者だ。
そんな凝り固まった世界観に、すべてを当てはめる。押し込める。――
成人女子の場合だってそうだ。
たとえばここでもまたエロおやじが(笑)、痴漢で逮捕される。
もちろん物的証拠なんて何もない。それでも十分有罪と見なされる。
理屈はこうだ。
女が性的被害を訴え出るのは、ハードルが高い。どうしても羞恥心の方が、勝ってしまうからだ。
そのハードルを乗り越えて、あえて声を上げたということは、実際に被害があった証拠だ。
という得体の知れない――めちゃくちゃな論法なのだ。
被害があっても言い出せないくらいなのだから、被害がないのに言い出すはずはない。よって冤罪はありえない。
女が告発したというその事実自体が、十分状況証拠になる、と判断されるのだ。
*
でたらめにも、ほどがある。
女が声を上げられないなんて、いつの時代の話だよ!
女がまだか弱く、控えめにはにかんでいた頃。古き良き時代とは言わないが、そんな遠い過去の時代の女性像を、いつまでも引きずっている。
女は尻を触られても、ただもじもじと頬を染めるだけだ――そんな昭和の都市伝説が、いまだに信じ込まれていて、法曹の判断を歪めているのだ!
今はもう女の時代だ。こと精神面に関するかぎり、男なんかよりはるかに気丈である。
痴漢なんてしようものなら、腕をつかんで引っとらえたまま、駅員に突き出される。
そんな正義の話ばかりではない。
車内マナーを注意された性悪女が、腹いせに「この人は痴漢です」と、被害者のふりをしてわめく。その挙げ句、冤罪を晴らせなかった紳士が、社会的に破滅する。……
あるいはコワモテの男とタッグを組んで、示談金をゆすり取る。……
そんな事件だって、記憶に新しいだろう。
*
別に痴漢に寛容であれ、というわけではない。
物的証拠を、揃えるのも無理だろう。
だが少なくとも、周囲の乗客の目撃証言を必須とする。そんな公正な法の手続きが、踏まれるべきだ。
痴漢三昧が治外法権なのは、もちろん許しがたい。
だが痴漢摘発の方が、治外法権のまま行われるというのでは、本末転倒だろう。
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<女子供は今でも弱者か>
ついでに言うなら、パニック映画の定番シーン。
避難の場面で、正義漢の男が叫ぶ。
「女と子供を先に逃がせ」
冗談じゃない。
百歩譲って子供はしかたがないにしても、何で女が先なんだ?
男女同権の原則は、どうなっているんだ?
あれもまた女が弱者で、男の庇護を必要としていた時代の、遺物である。
その時代に育まれた、騎士道やらレディファーストやらが。いまだに一部の男たちの精神を毒し、無意識を支配している。
「女を先に」と叫ぶ男は、けっして正義の人ではない。
ただ脳みそに、カビが生えている。すっかり女がたくましくなった、時代の流れを理解できていない。
女子供を差し置いて、自分だけさっさと逃げ出したエロおやじの方が、はるかに時流の変化にさとい、先進的な人物なのだ(笑)―
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