昔よく夏に、ヒーあっちー、ヒーあっちーと騒ぎながら、うちわで自分を扇いでいるやつがいた。
つくづく、バカだと思う。
うちわを動かす運動によって、体温が上昇する。
その運動で起こした風を、ほてった体に当てる。
そりゃあ、涼しいだろう。でも、それって無意味だよね? 空しいよね?
わざわざ加熱したものを冷却して、――加熱しながら冷却して、快感を得ている。ただの自己満足、エネルギーの空費だよね。状況の本質は、何一つ改善していないのに。
そんな道理にも気づかずに、頭の弱い連中がいつまでも、バタバタとうちわを扇いでいる。
最近は女性を中心に、うちわの代わりにハンディファン(注)なるものを、持ち歩くようだ。
日本人も少しは賢くなったのか。それともうちわを動かす元気もないくらい、かったるくなったのか。
大いに解釈に、迷うところだ。
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冷房にしたってそうだ。
クーラーの原理を、知っているよね。
あれは別に、夏を冷やしているわけじゃあない。日本を、冷やしているわけじゃない。
自分の部屋の中の熱を、ただ室外に追い出しているだけだ。
室内は涼しくなるが、ちょうどその分だけ、おもては暑くなっていく。
よそのことなんて、知ったこっちゃない。自分さえ、よければいいんだよ。そもそも外の世界は広いんだから、少しくらいの熱なら、どうせすぐに薄まってしまうだろ。――
おっしゃる通りである。
もしあなた一人だけが冷房をつけるなら、何にも問題にならない。
でもたとえば東京中のすべて人間が、同じように考えたらどうなるだろう。
自分さえよければいいと、みんなが部屋から吐き出した熱で、間違えなく気温は上昇する。
外の温度が上がる。
→
上昇した外の気温に「茹でられて」、冷やしたはずの室内がまた暑くなる。
→
ちくしょうムカつくと、またあわててクーラーをつける。
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その排熱で、さらに外気温が上がる。
→
ちくしょうムカつくと、またあわててクーラーをつける。
→
その排熱で、さらに外気温が上がる。……
と、あとは無限にコピペが続く。
「ヒートアイランド現象」(注)の半分は、この原理で起こる。
永遠の、悪循環を続ける。ドツボにはまって、にっちもさっちもいかなくなる。
それが今、都会化されれた我々人類が直面している、世にもおそろしい事態なのだ。
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もしあなた一人だけが冷房をつけるなら、何にも問題にならない。
でもたとえばこの世のすべて人間が、同じように考えたらどうなるだろう。――そこに思いを致すのが、「ゲームの理論」というものだ。
ネットの解説を拝借して、注釈に当てようと思ったが、わかりやすい説明文がなかったので、自前で注解しておこう。
ゲームにおいては当然、それぞれが対戦相手の出方を考慮したうえで、自分の次の一手を決めていく。こう来たら、こう行く、とあれこれ思いめぐらす。
実社会においても、それは同じである。
周囲の人間が取るかもしれない、いろいろな行動パターンを想定する。あらゆるケースを、網羅しておく。
そうしてすべての可能性を踏まえたうえで、だとしたら自分は結局、どういう対応を取るのが最適かを考えていく。
それがゲームの理論というものだ。
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たとえば、トイレットペーパーが値上がりしそうだ、というニュースが流れる。
値上がりする前に、買い置きをしようと考える。腐るもんじゃないから、スペースの許すかぎり買いだめをするのが、どうみても最適の行動だろう。
だがしかし、ゲームにはあなた以外にも、競技者がいる。
あなただけではない。世の中には買い物をする、無数の消費者がいる。その彼らは一体どう考えて、どう行動するだろうか?
みんながあなたと同じように考えて、買いだめに走ったら、たちまち品不足となる。その結果、かえって値段が暴騰してしまうかもしれない。あるいは商品棚から、トイレットペーパーがまったく姿を消してしまい、パニックを引き起こすかもしれない。
逆にみんなが同時に買いだめを控えたら、値上がりは些少ですむ。これがもっとも、理にかなっているように見える。
だがちょっと待てよ。
みんなが同時に、思いとどまってくれればいい。もし自分だけ買い控えして、貧乏くじを引くようなことだけは、何としても避けなくてはいけない。……
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そんなふうに、あれこれと考えていくのが、ゲームの理論の思考法だ。
まー、ごく初歩的なイメージだけどね。
冷房の件だってそうだ。
もしこんな考え方に、みんながなじんでいれば。この理論を勉強しておけば。
みんなが冷房をつけなければ、外気温の上昇は起きないから、室内もそれなりに耐えられる暑さにとどまる――そんな可能性にも、思い至ることもあるかもしれない。
もっとももう一つの、うちわパタパタの方は、ゲームの理論とはまったく関係がない。
こちらの方は、やはりバカに付ける薬を買ってきて、体中にべたべた塗りたくるしか、治療の道はないんだけれども。――
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