「例の頭部切断事件」の女が、生首と一緒に暮らした理由

 例の事件で(注)、テレビのコメンテーターが不思議そうに語っていた。
 どうして切断した頭部を、いつまでも自宅に置いていたのか。犯行が発覚しないように、証拠はすぐに処分するのが普通なのに、と。

 わかってないねえ。人間心理の深奥を、もっと勉強した方がいい。
 復讐だよ、復讐。
 恨みを晴らすために、決まっているだろう。

 殺してやりたいほど憎かった、相手の首を撥ねて、その生首を眺めて暮らす。
 復讐心の満足には、これ以上の悦楽はない。
 昔から、いくさのときには敵の大将の首を撥ねて、晒し首にした。それと同じことだ。

 それまでは偉そうに威張り散らしていた人間が、いまでは首一つになって、文字通り手も足も出ない。
 断末魔の表情で、ただ苦し気に虚空を見つめている。
 ざまあみやがれ。くやしかったら、また昔みたいに威張ってみろと、生首を前に高笑いして勝ち誇る。 
 つばきを何回も吐きかけて、愚弄のかぎりをつくす。
 人間ていうものは、そうやって意趣返しをしたりするものなんだ。

     *

 大量の血を見たり、無残な死骸を見たりすると、人の心は狂う。

 自ら切り落とした生首を見ながら、自慰に及んだ少年の話は知っているだろう。(注)
 この娘もきっと毎日歓喜の声を上げながら、行為にふけったにちがいない。

 もっともこの人の場合は、初めから心が狂っていた。
 何でも小学校の時代から、ずっとらしい。
 当時の同級生が、首にカッターナイフを突き付けられたと証言している。(注)

 つまりは精神鑑定で、間違えなく、責任能力なしとなる。
 無罪になるのがわかっているから、父親もそれを狙って自分は手を下さずに、娘に単独犯行させたらしい。
  まあいわば、娘を最強の凶器に仕立てて、殺人に及んだと言ってもいい。

     *

 大量殺人。猟奇事件。精神鑑定。お咎めなし。
 毎度毎度、こんなのばっかりだ。
 いつまでたっても、おんなじことの繰り返しだ。

 以前ある賢者が、「責任能力がないから死刑にする」という名文を書いたことがある。
 みんなも賢者の言葉に、ちゃんと耳を傾けて、刑法改正の運動を起こそうよ。 
 責任能力のない連中は、けっして野に放たぬように。

 まあ今回の場合は、被害者の方があまりにケッタイなので、(注)イマイチやる気が起きないが。
 そうすれぱ神戸も、秋葉原も、やまゆりも、小田急線も。もう二度と起きない、いい社会がきっと作れると思うよ。――

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