「まぼろし(幻術士)」とは

「幻(まぼろし)」という言葉は、もちろん誰でも知っている。「幻影」のことだ。
 だが古典文学の世界では、もう一つ別の意味がある。

「幻を見せる者」。つまり幻術士のことだ。 
 おそらくは本来の「まぼろし」に、人を表す「士」が、そのまま呑み込まれてしまった用法だろう。

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 幻術士と言っても、我々の思い描くような、奇術・マジックの類いではない。

 今は亡き、死者たちの魂をよみがえらせて、その姿を現わして見せる。そんな一種の、宗教的な儀式を執り行う。
 後世では巫女や、イタコの行った口寄せ。現代の言葉で言うなら、降霊術だろう。そんな巫術にたけた霊能者を、平安の世では「まぼろし」と呼んだのだ。

 亡き者の魂(たま)は、黄泉(よみ)の国に住む。その魂のありかを、幻術士まぼろしは尋ね当てる――探し出すことができる。
 そしてこの世に連れ帰り、よみがえらせることができる。おそらくは自らの口を借りて、言葉を語らせたのであろう。
 あるいは連れ帰ることはできずとも、その消息を依頼者に教えることは、できたかもしれない。

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 そのあたりを踏まえると、『源氏物語』の歌のこころを汲みとることができる。

――尋ねゆく幻もがな つてにても 魂のありかをそこと知るべく
 (今は亡き愛する人の、魂のありかを尋ね求めてくれるという、幻術士がいればよい。たとえ人
 づてであっても、そこにあの人がいるということを、知ることができるのだから)

 最愛の女性、桐壺更衣(きりつぼのこうい)を失くした帝が、その死を嘆いて詠んだ歌である。
 けっして文学史に残るような名歌ではないが、同じ悲しみを知る者であれば、誰もが心を揺さぶられる響きが、確かにそこにはある。――

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