いじめで自殺で「天寿を全うした」女生徒

 先日、ネットニュースで見た。(注)

 福島の女子高校生が、いじめが原因で自殺をした。
 その3日後、学校の校長が全校集会で、彼女は「天寿を全うした」と発言したんだそうだ。

 両親が激怒したのも、無理はない。
「天寿を全う」は通常、十二分に長生きをした故人に用いる。本来の寿命を、最後まで生き切ったと。
 早逝であったとすると、神の思し召しというニュアンスになる。
 つまりは女生徒の自殺は、あくまでそれが運命だったのであって、加害者側の問題ではないかのごとくに聞こえるわけだ。

     *

 何という冷酷非情な、責任逃れだろう。実にけしからん――となったわけだが、自分の印象はちょっと違う。
 
 ひょっとしたら校長は、言葉の意味が、よくわかっていなかったのではないか。「天寿を全うする」を、ただ「亡くなる」の婉曲表現と認識していた。
 文学調の格式高い表現と思い込んで、 校長先生らしく全校生徒の前で、気取ってみせただけな気がする。
 無学な人間にはありがちな、「へま」をやらかしたわけだ。人非人なのではなく、ただの馬鹿だった、というところが落ちだろう。

 お前はあんな校長を、庇い立てするのかって? 誤解しないでほしい。
 自分の中のランク付けでは、「ただの馬鹿」こそ救いがたい、最大限の蔑称である。
 肩を持つどころか、これ以上ないほど目いっぱいこき下ろし、罵倒しているわけだ。
 
 頭の悪い善人であるよりも、知性と教養あふれる悪党の方がまだましだ、と考えている。
 そのあたりが、世間の順番とは違いすぎるのかもしれない。
 だとしたら、間を取って、こういうことにしておこう。
 校長はきっと、「頭が悪くて馬鹿な上に、人情にも欠けた悪党」だったのだ。――

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 生半可の、うろ覚えの知識を無理やりひけらかそうとすると、たいてい墓穴を掘る。

 まかり間違っても、葬式に参列して、こんな挨拶をしてはならない。
「幸か不幸か、旦那様を亡くされ、ご同慶の至りであります。
 何がさいわいするか、わからないものです。
 この上奥様にも、もしものことがあったあかつきには……」

「幸か不幸か」――もちろん、不幸に決まっている。言葉が勝手に、踊ってしまった感じだ。
「同慶」――「慶」の漢字は、よろこびを表す。しあわせな気持ちを、共有するときに用いる。
「さいわいする」――「わざわいする」と言うべきところを、響きが似ているので混用してしまった。
「あかつき」――「暁」は夜明けを表す語だから、待ち望んだことがようやく訪れた際に用いる。

 万一こんな挨拶をした列席者がいたとしても、あまり目くじらを立ててはいけない。
 おそらく、悪気はなかった。人間的にも、きっと好人物だった。
 ただただひたすら、頭が悪かっただけである。――

     *

 前記の校長もそうだが、社会的な地位もあり、世間からは教養人と思われている人物ほどボロが出やすい。

 最近耳にした例は、こんなものだ。
 ある社長さんが、
「全知全能を注いで、解決に当たりたい」
 正しくは「全身全霊(を傾けて)」である。「全知全能の神」と、これも響きが似ていた。

 また別の社長さんは、
「ビジネスは、じゅんぷうまんぽです」
と読み間違えていた。本来は「じゅんぷうまんぱん」(順風満帆)。帆船(はんせん)の「はん」が、半濁音化した。

 またある政治家は、
「被災者の気持ちを思うと、慚愧に耐えない」と言う。
「慚愧に耐えない」は、自らの失態を恥じるときに用いる。この政治家に何か落ち度があった、という文脈ではなかった。ただの同情の表明だから、大変な誤用である。

     *

 一方先日、テレビのバラエティー番組で、タレントが「嗚咽(おえつ)」という語を使っていた。
 むせび泣くことを表す日本語である。

 ところがどうやら当人は、「嘔吐」のことと、間違えているらしかった。
 ゲロを吐くときには、「オエー」となる。だから「おえつ」なんだろうと。
 漢語のなりたちを、擬音語に求めるという、大層独創的な着想であった。

 もっとも所詮はタレント風情には、初めから教養なんて望むべくもないから、こちらの方はあまり問題にもならないようだ。……

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