『ミッちゃん、みちみち』――トンデモわらべ歌 

 思えばひどい時代であった。
『みっちゃん』という歌を、子供たちみんなが歌っていた。
 こんな歌である。

みっちゃんみちみち うんこたれて 紙がないから手で拭いて もったいないから なめちゃった

 ネットによれば(注)、歌詞には細部に地域差があり、自分の覚えているのは東京版らしい。

 少なくとも、明治時代の終わりには存在したというから、おそるべしである。
 今のように、何かのテレビ番組から、広まったというのではない。
 内容から考えて、親や先生が教えたとも思えない。
 誰が歌い始めたわけでもなく、子供たちの間で自然発生的に生まれ、歌い継がれた。
 強いて分類すれば、「わらべ歌」と呼ばれる類いのものである。その言葉の響きに似ず、少しも牧歌的でも、ほほえましくもないが。

 わらべ歌。つまりは『むすんでひらいて』や、『とおりゃんせ』と同じで、子供たちが何かの遊びをしながら口ずさむ歌である。
 『みっちゃん』の場合、その「遊び」は要するに、いじめであった。
 たとえばミチコという名前の子供を、みんなで取り囲んで、歌を歌ってはやし立てる。
 その真ん中で、からかわれたみっちゃんが、ワーと泣き出す。
 そういうとんでもない、遊びだったのだ。

 みっちゃんは、何も悪いことなどしていない。ただただ、呪われた名前に生まれた己れの、運命を嘆いた。
 悪ガキどもは、その手の名前でなかった幸運を、神と親とに感謝した。

     *

 思えばひどい時代であった。

『真っ黒土人ヤッホ~』という歌もあった。
 これはネットで検索しても、そのものズバリは出てこない。
 類似のものはあるのだが、地域的な問題なのか。あるいは自分の世代が、あまりにも古すぎるということなのか(泣)

 記憶している歌詞は、次のようなものだ。

真っ黒土人、ヤッホ~
たってもって(=盾持って)、ヤッホ~   
真っ黒土人、先生にしかられた

 二行目の「たってもって」が、掛け言葉になっている。「盾持って」と、「立って漏って」。つまり立ったままの姿勢で、オシッコが漏れたというのだ。
 土人だから盾を持つ。
 それと同時に、おそらくは朝礼の時間か何かに、立ったままお漏らしをして、先生に叱られたのだ。
 なかなかスグレものの言葉遊びで、倫理の面を除くなら、よくできた傑作にも思える。

     *

 もちろん現在では、こんな得体の知れないわらべ歌は、けっして許容されない。
 先住民は未開で野蛮だ、というステレオタイプが底流している。黒人に対する揶揄に、明らかな悪意が感じられる。
 そもそも「土人」という、単語そのものがNGだ。入力しても、変換候補にも出てこない。
 何しろ『ちびくろサンボ』の出版ですら、問題視される(注)時代だもの、到底ありえない歌詞なのだ。
 それでも『真っ黒土人』は、まだ一般論の差別だ。『みっちゃん』に至っては、特定の個人を攻撃する、ただのいじめでしかない。まったくの論外なのだ。

 今は道徳と、コンプライアンスの時代だ。差別とかいじめとか思しきものは、たちまち糾弾される。
 このような歌を歌うことは、けっしてあってはならない――実際、若い子たちに聞き取りをしても、どちらの歌も「聞いたこともない」と言う。
 だとしたら学校教育から、子供たちの世界から、悪しき歌唱の風習はついに根絶されたのだ。
 
 すべては先生方の真面目な、地道な努力のおかげである。若い親たちの心がけが、ようやく実を結んだのだ。
 ちょうど戦後の焼け跡日本で、子供たちの頭にDDTを振りかけて、シラミが撲滅されたように。
 美しき倫理学の洗礼によって、子供たちの頭の中から、みっちゃんも土人も駆逐された。

 俗悪でけがれた、いかがわしい民衆文化とは縁がない。
 清潔で。ハイブラウで。お行儀がいい。
 息が詰まるほど品行方正で、良識的なうるわしい社会が、ようやく実現したのだ。

     *

 日本のみなさん、どうもおめでとう(笑)

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