「貿易風」で貿易する、って習ったヤツら 

 中学校の理科の授業で教わった。 

――風には季節風と、恒常風がある。
 季節風は夏は海から陸へ、冬は陸から海へと、吹く方向の変わる風だ。
 一方恒常風は、一年中ほぼ同じ方向に吹く。私たちのおなじみの偏西風や、赤道付近を東から吹く貿易風などが、これに含まれる。……

 そんな能書きの後に、何やらこんな、蘊蓄らしきものが加えられたのだ。
「昔の人はこの風に乗って、貿易を行った。だから貿易風という名前が、付けられているのです」   

     *

 説明を聞いて、一瞬「え?」と、不思議に思った。
 それはそうだろう。
 季節風なら、半年ごとに吹く向きが変わる。その風に乗って一年単位で貿易を行えば、行きも帰りも、追い風の恩恵を受けることができるのだ。 
 だが貿易風は恒常風だと、さっき説明したばかりだろう。貿易風に乗って貿易に出かけるのはいいが、帰りは一体どうするんだろう? その同じ風が、今度は逆風になっているはずなのに?

 今思えば、それは当然の疑問だった。さっそく手でも挙げて、教師に問いただすべきだったろう。
 だが中学生の私は、まだとてつもなくシャイで、あまりにも謙虚だった。というよりも、卑屈だった。
 先生が嘘をつくわけがない。間違えを教えるはずはないから、きっと自分の方が何か勘違いをしているのだろう、と勝手に思い込んだ。
 少なくとも、自分自身にそう言い聞かせて、心の中のもやもやを封じ込めてしまった。 

 もちろんそれっきり、二度と授業に「貿易風」が、登場することはなかった。中学時分の、そんなちっぽけなエピソードなど、もうすっかりと忘れはてていたのだ。

     *

 ところが、あれから45年(笑)
 つい先日ひょんなことから、事の真相を知らされることになる。

 「貿易風」とは、もちろんtrade wind の和訳である。だがここで言う tradeとは、おなじみの「貿易」いう意味とは違う。
 古い時代の英語としては、 tradeには「定められたルート」のような意味があった。(古英語なので、中辞典のようなものには載っていません)
 つまりはtrade wind とは、「定められたルートを吹く風」だ。何のことはない、「恒常風」と言っているのと同じなのだ。

 貿易なんか、全然してはいない。trade windと聞いた日本人が、言葉を誤訳した上で、心得顔で適当な解説を付けただけのだ。
 いや、それを言うなら英語のネイティブたちも、同じような勘違いをしているにちがいない。だってもう、古英語なんて誰も知りはしない。私たちのほとんどが、平安時代の物語を読みこなせないのと同じことだから。

     *  

 つまりは中学の教師のあの蘊蓄は、まったくの噓っぱちだった、というわけだ。

 そのことを知った瞬間、腹立たしくてしかたがなかった。
 あの教師に対してか? 否。
 だってあの当時の参考書には、全部同じような記述が載っていた。おそらく今の参考書でも、それは変わらないだろう。教師はただ聞き知った知識を、生徒に伝授しただけなのだから、大いに同情の余地がある。

 私の怒りはむしろ、自分自身に対して向けられていた。
 思えば当時から自分には、論理に対する鋭い嗅覚のようなものが備わっていた。だからこそ授業のうさん臭さに、即座に気がついたのだ。
 だがそんな自分の、いわば才能の芽生えを、気弱すぎるばかりにすっかり摘んでしまった。反論どころか、質問すらできずに終わってしまった。

 もしあのときの自分に、情けない自卑とは違う、もっと強い自負の気持ちがあったなら。堂々と教師に、論戦を挑んだろう。
 初めから論理破綻している教師は、もちろんぐうの音も出ない。論破の帝王としてのデビューを、はなばなしく飾れたに間違いないのだ。
 そう思うと、そうして人生初論破の機会を逃したことが、返す返すもくやしくてならないのだ。

     *

 「貿易風で貿易 する」って、よくよく考えたら、悪い冗談だ。漫画みたいな、話じゃあないか。 

 それはそうだろう。
 行きは追い風に乗って、絶好調だと調子をこいていたら、とんでもないところにまで来てしまって、そのまま引き返せなくなる。
 てっきり順風だと思っていたものが、今度は一転、すっかり逆風になる。にっちもさっちも行かなくなって、泣きっ面をかく。
 まるっきり、ドジでトホホな人生の、諷喩そのものだ。

 みなさんは、そんな人生を歩まないように、くれぐれも注意してね。
 俺なんか、いまさら気がついても、もうとっくに手遅れなんだけれども(泣) 

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