もう10年くらい前になるが、某月刊誌が「女子アナ月経カレンダー」(注)なる企画を連載していた。
女性の外見や言動に、生理の周期が現れる――という仮説に基づいて、画面越しの様子から人気女子アナの、今月の生理日を推測する。
そこから逆算して、何週目のこの時期はどういう心身の状態であるかを、思い切り下ネタ目線で解説していた。
とりわけ「発情期」の存在が、強調されたのは言うまでもない。
まるで占いカレンダーのような体裁のものを、ご丁寧にも毎月、各人ごとに作成した企画である。
今思えば論外のお下劣記事だったが、当時の男どもは、
「あの娘もきっと今ごろは、……」と、ひそかにイヒイヒと読みふけった。
けっこうな人気コーナーで、男どもの鼻の下に比例して、雑誌の売り上げもずいぶん伸びたらしい。
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だがいつしかその存在が、世の中の女性陣にもバレてしまった。
当然、世論が沸騰した。
女性蔑視もはなはだしい。マスメディアは男社会に迎合し、私たちを性的対象としか見ていない。――
誰もが激高し、轟轟たる非難の渦が巻き起こった。カレンダーはあえなく、連載中止に追い込まれた。
確かに、おっしゃる通りである。トンデモな、おふざけ企画である。
揶揄された女子アナはもちろん、同じ女性なら必ず胸糞が悪くなる。売り上げのためとはいえ、到底容認できるものではないだろう。
そのことについては、自分もまったく同感である。
たがしかし、ただ一点だけ、女性たちの見落としていることがある。
それは主犯となった雑誌、『BUBKA』についてである。
抗議の声を上げられた方々は、おそらく一度も、実際の雑誌を手に取ることはなかったのではないか。
一見表紙を見ただけでは、ちょっとわからない。内容に目を通して、はじめて納得する。
この雑誌は分類学上、「エロ本」と目される出版物なのだ。
確かにぱっと見は、情報誌のような体裁を取っている。だが中身の記事は、芸能系の下ネタ裏話ばかり。
むしろそのギャップが、売りなのだ。見た目がキレイなので、人前でも堂々と広げることができる。
いわば「電車の中でも読めるエロ本」を、コンセプトにした雑誌だった。
だからこそ問題の、こんなカレンダー企画も通ったわけだ。
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そしてもし、これがエロ本だとしたら?――
エロ本が女性を性的対象として見たとしても、けっして不思議ではない。
性的対象でなければ、子孫は作れないわけだから、それほど不自然な現象ではない。
多少大目に見てやってもいい気もするのだが、いかがなものであろうか。
いや、それでもけしからん。けっして、あってはならない。
たとえエロ本でも、対等な人格として敬意を払え。色恋だとしても、ちゃんと美麗なセレナーデを奏でよ。
そう言われれば、もはや返す言葉はない。
だがしかし、これだけはけっして、忘れてはならない。
『BUBKA』はけっして、マスメディアの代表ではない。マスメディアとさえ言えない。
マイナーの中のマイナーな、単なるエロ雑誌だ。
昔で言うなら「カストリ雑誌」(注)の、その系譜を堂々と継いだ、箸にも棒にも掛からない三流出版物だ。
それをもって、メディアの全体のあり方を糾弾するのは、明らかに無理がある。
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一応誤解のないように、それだけは言っておきたい。
これが週刊朝日や新潮なら、もちろん大問題だ。文春レベルだって、あのカレンダーは載せられない。
その場合にはもちろん、日本社会に底流する偏見を、論じるのもよかろう。
だが何しろ、相手は『BUBKA』ごときである。
軽蔑にも値しない。洟もひっかけない。
いわば路上で酒盛りしているエロおやじが、たまたま通りすがりの淑女に、とてつもなく卑猥な言葉を投げつけた――たとえばそんな状況を、想定してほしい。
そんなとき、いちいちセクハラです、などと目くじら立てて抗議はしない。
相手にもしない。目いっぱい小バカにして、そのままシカトして通り過ぎるのが普通である。
『BUBKA』なんて所詮、その程度のカス雑誌なのだ。(注)
(注:事件当時の話。現在の『BUBKA』 は、もちろん見てもいないので、どうなっているのか知る由もない)
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