余命宣告は、サバを読んでいると思う。
それはそうだろう。
もし医者が自分の見立て通りに、あと一年の命、と伝えたとしよう。
仮にその患者が予想に反して、半年で亡くなってしまったとしたら、ただの見立て違いではすまされない。
まずは医者の、治療の腕前が疑われる。あのヤブ医者のせいで、生きられるものも生きられなくなってしまった、と遺族の恨みを買うのは間違いない、評判も、大いに傷つくのである。
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ではその逆ならば、一体どうなるだろう? 同じ余命一年の見立てでも、患者家族の前ではあと半年の命、としておくのだ。
仮にその患者がもともとの予想通りに、一年生きたとしたら――
医者はたちまち、名医とはやされる。先生のおかげで命が倍になりました、と涙交じりに感謝されることとなるのだ。
あと一年と言われた患者が、その通りちょうど一年生きたとしても、誰にも感謝されない。医者は予想屋ではないのだから、あの先生の計算はいつも正確だ、と評判になることはない。
それでいて予想が外れればヤブ医者と罵られるわけだから、正直に余命を伝えても、何もいいことはないのだ。
だとしたらやはり、少なめに言っておくに越したことはない。
サバを読まない理由など、一つもないのである。
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そのうえ、いいことがあるのは、医者の方ばかりではない。
残された家族の気持ちも、また慰められる。
半年と言われていたのに、おじいちゃん頑張ったわねと、と故人の株が上がる。私たち家族も頑張った、最後に少しだけ、みんなにいいことがあった――というので、ささやかな幸せが得られるのである。
だとしたらやはり、サバを読まない理由など、何一つもないのだ。
英語にwhite lie(白い嘘)という言い回しがある。
相手を傷つけない。誰にも害にならない。人を思いやり、みんなを幸せにするためにつく、やさしい嘘のことだ。
さしずめこの余命のサバ読みなどは、white lie のお手本のようなものなのである。
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ここまで読んで、不思議に思われる方もあるかもしれない。
いつもは皮肉ばかり言っているこいつ(鬼沢哲朗)が、今日は珍しく誰も責めない。
医者が打算で嘘つきだとか。だまされる家族がおめでたいとか。毒舌を吐きそうなものなのに、それがない。
すべてを笑顔で迎えて、受け入れている。
確かにその通りです。今日の自分は、なぜかとっても素直で、幸せな気分なのです。
それはやはり、少々お酒が入っているからでしょうか? それともやはり、今日がクリスマスだからでしょうか?
嘘です。今日はクリスマスではありません。もう一月五日です。
まあこれもまた、White christmas のふりをした white lie ということで、ご勘弁願いたい。――
(話は明日に続く)
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