2013年から15年にかけて、政府は生活保護費の減額を実施した。
これに対して約1千人の利用者が、憲法違反であると裁判を起こした。
提訴した29地裁のうち、判決がすでに出ているのが25地裁。
そのうち14地裁が原告の勝訴だから、裁判所の判断が分かれているわけだ。 (注)
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先日朝日新聞の記事の中で、原告の一人が思いを語っていた。
生活保護受給者に対して、世間の目がいかに冷たいか。ズルい、図々しい、とバッシングがいかに厳しいか。
その発言で男性は、こんなデータを引用していた。
「生活保護基準以下の貧困世帯が、生活保護を利用する割合は推計で2割程度」だと。
つまりは本来は生活保護がもらえるほど貧しいのに、受給していない人が8割もいる。
困窮者は図々しいどころか、それほど遠慮深いのだ。
あるいは、世間の目が怖くて申請をためらっているわけだから、いかに状況が残酷か――と主張したいようだった。
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だがデータなんて、いかようにも解釈できる。
生活保護基準以下なのに、受給していない人が8割もいる――と言うけど、その8割の人たちはどうしているの?
死んじゃったの? 生活してないの?
生きてるんだよね。生活できてるんだよね。
てことは、生活保護費なんて、本当は必要ないってことだよね?
少なくとも、当該の基準の収入があれば必要ない。――てことは基準は、もっと引き下げてもいい。生活保護費の減額だって正当だ、ということになってしまう。
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自分のワーキングプア仲間にも、生活保護に身を落とした人間がいる。
いつも「生活保護費が安すぎる。これじゃまるで貧困ビジネスじゃないか」と得体の知れない愚痴をこぼしている。そのくせカップ酒をあおる金だけはあるようだ(笑)
あまりナマポ(生活保護)の悪口を言うとそいつに刺されてしまうから、バッシングに加担するつもりはない。
ただデータのあやうさというものを、指摘しておきたかっただけだ。
生活保護の正当性を主張するために、提示したはずのデータが、逆に生活保護不要論に利用されてしまう。――
しっかり論理的に物事を考えないと、思わぬ落とし穴にはまりかねない。
ただそれを言いたかっただけで、別段他意はない。
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<補足>
こういう投稿をすると、必ず憲法第25条の文言を持ち出してくる者がいる。
つまりは「健康で文化的な最低限度の生活」だ。
前述の「残りの8割の人」は、確かに死んではいない。生活はできている。
だがそれは「健康で文化的な」ものではないのだ、と。
この点については過去投稿(「憲法第25条は「文化」を保証しない」)で述べたので、ぜひ読んでほしい。
憲法の言う「文化的」とは、屋根があって水道と下水が備わっていることを指す。
それ以上の何物でもない。
つまりはホームレスでもしていないかぎり、すべては文化的な暮らしと言えるんだよ。
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<さらに補足>
「健康で文化的」のうちの、「健康で」の部分には、もちろん配慮が必要である。
体調が悪くて死にそうなのに、医者にかかる金がなくて我慢している――というような場合は、それこそ遠慮せずに生活保護を申請すべきだ。
生活保護対象者は、医療費が無料になるからである。(注)
この点についてまで、厚かましいとバッシングする者があるとしたら、それこそ人非人だと言わなければならない。――
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