錯覚を利用した、トリックというのは様々ある。
これを対人関係に用いれば、人の心を自由自在に操って、支配することもできる。
もちろん詐術だから、たいていあまり、いいことには使われない。
かつての悪しき時代には、これをパワハラ・セクハラの世界に、応用したものだ。
それがよく知られた、次のような手口である。
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たとえば女子の新入社員に、初めは冷酷非情の上司として接する。
そんなこともわからないのか。いつになったら覚えるんだ、と鬼の形相で𠮟り飛ばす。
もちろん今では、すぐにパワハラと訴えられるが、かつてはそれがけっこう当たり前の光景だったのだ。
2週間、3週間は必死に耐えていた女子社員も、ついに限界が来て、ぽろりと涙をこぼす。
その機を見計らって、上司は一転、態度を変える。
急に甘やかな猫なで声で、やさしい言葉をかけるのだ
「若いうちは、失敗はつきものだ」「俺は絶対、お前を見放したりはしないよ。頼ってくれていいからね」
肩をやさしく叩き、ときには髪さえなでながら。
社員は今度は、ほろりと来る。
目の前にいるのは、さっきまでの鬼上司とは、明らかな別人だ。対比とギャップの効果から、後光さえ差して見える。
そのうえそうして、ようやく恐怖から解放された安堵は、その落差ゆえに、幸福とすら誤認される。この人と一緒にいて、自分は今こんなに幸せなんだ。……
そしてもし、そうして白馬の王子が現れたというのなら、どうして彼女が彼に、夢中にならないことがあろうか?
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もちろん本当の、彼女の心の内は、必ずしも安堵と幸福ばかりではない。
その無意識の奥には、まだ拭い難い恐怖心が残っている。
上司は再び、豹変するかもしれない。
なるほどジキルとハイドは入れ替わったが、元のハイドは、またいつ舞い戻ってくるかもわからない。
男のやさしさにもまた、きっと裏があった。
これから自分の言うことを聞かないと――言いなりにならないと、またあんな怖い目に会うよ、と。
けっして口には出さないが、そのどこか冷たい目の奥には、そんな無言の恫喝が隠れているにちがいない。
それだけで、女はすくんでしまう。心理的に、抗拒不能の状態に陥るのだ。
もちろん女は、そんな隷属の状態を認めたくない。必死に否認しようとする。
自分はけっして、怯えてなどいない。恐怖に操られてなどいない。
自分は本当に心から、このやさしい上司に好意を持っているんだ。――そう自分自身に言い聞かせるうちに、いつしか暗示の魔手に落ちる。
女はいつしか、本当に上司に惚れてしまう。
気を許して、ついでに体まで、許してしまうものなのだ。――
*
こんな原理を巧妙に用いて、実に隠微な支配と、虐待が行われていた。
上司と部下の話だけではない。
たえとえばスポーツの選手と、監督・コーチの関でも。あらゆる権力関係に、この悪辣なやり口が応用された。
もちろん今の時代には、こんなことは絶対にやっちゃいけない。
いや、どんな時代だって、人としてありえない所業なはずだ。
だがその割には、過去の遺物とさえ言い切れない。相変わらず同じような、おぞましい噂を見聞きする。
だとしたらやはり、犯罪者たちの手口は、しっかり覚えておく必要がある。
同じような被害者を再び生まないように、警鐘を鳴らすためにも。
絶対に悪用しないでください、と但し書きを付けた上で、こうして公にする価値はあると思ったわけだ。――
(話は次回へ続く)
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