錯覚を用いて、心を操る <セクハラ編>

 錯覚を利用した、トリックというのは様々ある。
 これを対人関係に用いれば、人の心を自由自在に操って、支配することもできる。

 もちろん詐術だから、たいていあまり、いいことには使われない。
 かつての悪しき時代には、これをパワハラ・セクハラの世界に、応用したものだ。

 それがよく知られた、次のような手口である。

     *

 たとえば女子の新入社員に、初めは冷酷非情の上司として接する。
 そんなこともわからないのか。いつになったら覚えるんだ、と鬼の形相で𠮟り飛ばす。
 もちろん今では、すぐにパワハラと訴えられるが、かつてはそれがけっこう当たり前の光景だったのだ。

 2週間、3週間は必死に耐えていた女子社員も、ついに限界が来て、ぽろりと涙をこぼす。
 その機を見計らって、上司は一転、態度を変える。
 急に甘やかな猫なで声で、やさしい言葉をかけるのだ
「若いうちは、失敗はつきものだ」「俺は絶対、お前を見放したりはしないよ。頼ってくれていいからね」
 肩をやさしく叩き、ときには髪さえなでながら。

 社員は今度は、ほろりと来る。
 目の前にいるのは、さっきまでの鬼上司とは、明らかな別人だ。対比とギャップの効果から、後光さえ差して見える。
 そのうえそうして、ようやく恐怖から解放された安堵は、その落差ゆえに、幸福とすら誤認される。この人と一緒にいて、自分は今こんなに幸せなんだ。……

 そしてもし、そうして白馬の王子が現れたというのなら、どうして彼女が彼に、夢中にならないことがあろうか?

     *

 もちろん本当の、彼女の心の内は、必ずしも安堵と幸福ばかりではない。
 その無意識の奥には、まだ拭い難い恐怖心が残っている。
 上司は再び、豹変するかもしれない。
 なるほどジキルとハイドは入れ替わったが、元のハイドは、またいつ舞い戻ってくるかもわからない。

 男のやさしさにもまた、きっと裏があった。
 これから自分の言うことを聞かないと――言いなりにならないと、またあんな怖い目に会うよ、と。
 けっして口には出さないが、そのどこか冷たい目の奥には、そんな無言の恫喝が隠れているにちがいない。
 それだけで、女はすくんでしまう。心理的に、抗拒不能の状態に陥るのだ。

 もちろん女は、そんな隷属の状態を認めたくない。必死に否認しようとする。
 自分はけっして、怯えてなどいない。恐怖に操られてなどいない。
 自分は本当に心から・・・・・・、このやさしい上司に好意を持っているんだ。――そう自分自身に言い聞かせるうちに、いつしか暗示の魔手に落ちる。
 女はいつしか、本当に・・・上司に惚れてしまう。
 気を許して、ついでに体まで、許してしまうものなのだ。――

    *

 こんな原理を巧妙に用いて、実に隠微な支配と、虐待が行われていた。
 上司と部下の話だけではない。
 たえとえばスポーツの選手と、監督・コーチの関でも。あらゆる権力関係に、この悪辣なやり口が応用された。

 もちろん今の時代には、こんなことは絶対にやっちゃいけない。
 いや、どんな時代だって、人としてありえない所業なはずだ。
 だがその割には、過去の遺物とさえ言い切れない。相変わらず同じような、おぞましい噂を見聞きする。

 だとしたらやはり、犯罪者たちの手口は、しっかり覚えておく必要がある。
 同じような被害者を再び生まないように、警鐘を鳴らすためにも。
 絶対に悪用しないでください、と但し書きを付けた上で、こうして公にする価値はあると思ったわけだ。――

(話は次回へ続く)

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