錯覚を用いて、心を操る <予備校編>

(話は前回から続く)

 もっとずっと、かわいいトリックもある。

    *

 昔ある予備校の、英語のテキストを編纂したことがある。
 そこで用いたのが、こんな手口だ。

 学年の初めの部分には、これでもかというような、難問を配置する。
 生徒はまったく手が出ないので、パニックになる。
 こんな英文も読めなければ、一流大学には合格できないのか。ちょっとばかり高校の成績がいいからといって、これまで自分は天狗になっていた。井の中の蛙だった、――と猛省する。
 謙虚な気持ちで、一年の学習に取り組ませる、準備になるわけだ。

 まあ一種の、ショック療法だ。
 ただしこれはあくまで、比較的エリート塾の場合にだけ、通用する手口だ。
 補習塾で、ショック療法をやってはいけない。そんなことをしたら、みんな本当に、ショック死してしまう(笑)

     *

 もちろんそのまま、難問ばかりが続くわけではない。
 六月、七月と、授業が進むにつれて、テキストをだんだん易しくしていく。徐々に、徐々に。生徒にそれと感づかれないように、少しずつ。

 するとどうだろう。それまではお手上げだった英文が、徐々に、少しずつ読めるようになっていく。生徒はそれで、読解力が付いたと勘違いする(笑)
 日々の努力が実っていると信じ込み、前向きな、明るい気持ちになる。
 授業の成果が上がっている、とついでに予備校の評価も高まる(笑) 

 人は遠近を見失ったとき、大きさの判断を誤ってしまう。
 遠くにある太陽は、あんなに小さく見える。目の前をよぎったカナブンは、怪獣のような生き物のように錯覚される。
 それとちょうど、同じことだ。
 大人と違って子供たちは、テキストの難易を、客観的に判断することはできない。
 問題が解けなければ、てっきり自分の学力不足と思い悩む。スラスラ解ければ、実力が付いたと歓喜する。
 そんな錯覚を利用して、生徒の心を自由自在に操作するのだ。

     *

 二学期になったら。ますます手ぬるい問題を並べる。 
 受験直前には、楽勝のものばかりにする。

 そうすることで、生徒はすっかり自信をつける。
 万全の準備ができたと、胸を張って入試に臨むことががきる。

 もちろん、結果は保証できない(笑)
 だが運よく合格できた半数の生徒は、必ず報告に来て、こう感謝の言葉を述べる。

――初めはあれほどお手上げだった英文が、最後にはスラスラと読めるようになりました。
  先生のご指導のおかけです。
  どうも一年間、ありがとうございました。……

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