<怒りの鉄槌>天敵・地方公務員をぶっ飛ばせ

 今はもう廃業したが、以前自宅の敷地内で、ぼろアパートを経営していたことがあった。
 入居者の一人に、生活保護の受給者がいた。

 あるとき2か月ほど、家賃の入金がないことがあった。取り立てに行っても、いつも不在だ。
 以前からよく友だちの家(アパート)に転がり込んで、留守がちの男だからそれはあやしまないが、携帯に電話を入れても応答しない。無視シカトしているのである。

 業を煮やして、生活保護の支給元である、市役所にねじ込んだ。
 窓口の職員の男は、言語不明瞭で、何やらぶつくさ言っている。それでも「 民事不介入…」という言葉だけは聞き取れたので、頭のいい私は、すぐにその趣旨を理解した。
 つまりは役所は、もっぱら被保護者の、経済援助をするのがつとめであって、生活指導まで担当するものではない。あくまで民事不介入で、入居者と家主の私的契約関係にまで、立ち入ることはできない――おそらくはそう言いたかったらしいが、頭が悪いので、理路整然と主張をまとめることができなかったのだ。
 
 知能程度はすぐに見て取れたので、さっそく反論してやった。
「保護費の中には、住宅扶助も含まれています」「ゆえに生活保護を受給しながら、家賃を納めないことは、不正受給に当たります」「不正受給を通報に来た市民に対して、役所は対応しないとおっしゃるのですか?」

 私の鉄壁の論理を前にして、職員はうっ、と一瞬ひるんだきり一言もない。この男と言い争ってもとうてい勝ち目はないと悟ったのか、その後はただ押し黙ったまま、手続きに取り掛かった。
 つまりは完璧に、論破してやったのである。

     *

 今の時代は知らない。
 少なくとも私たちの時代には、地方公務員にあこがれる学生などいなかった。市役所の職員になりたいなどいう、そんな夢を語る者は一人もいなかった。
 あまりにも地味すぎて、夢もない。目の玉が飛び出るような、給料がもらえるわけでもない。
 最終学年になっても、誰も市役所なんかに目もくれない。
 頭のいい成績優秀な連中は、引く手あまたで、たとえば外資系の証券会社あたりに、颯爽と就職していったのだ。
 ただそれができない輩が――何の才能もなく、落ちこぼれて、風采もあがらないしょぼい奴らが。たいていは地元や親戚の縁故コネかなにかで、なんとか公務員に収まったのだ。

 学生時代の序列は、明らかにそうであった。
 だがしかし、若者たちの熱い思いと人生の実像とは、必ずしも同じではない。
 加えて日本の国も、もっとも困難な時代に突入していた。
 リーマンショックやらなんやらもあって、多くの企業が倒産の憂き目にあった。かの花形外資系証券マンたちも、リストラで職を失った者も枚挙にいとまがない。

 それに比べて地方公務員はと言うと、蓋を開けてみれば、けっこう悪くない。
 倒産の心配はない。ノルマに追われて神経をすり減らす、ストレスもない。
 9時5時で気楽に、ちんたらのんびり、やっているだけでいい。
 給料だって、もとは国民の税金だもの、財布の心配はない。とうていその仕事には見合わないような金額が、実に気前よくばらまかれる。
 年収は800万かい? 確かに、ん千万という数字は絶対に出てこないが、何の特別な才能もない凡庸な人材なんだから、それでも十二分にもらいすぎている。

 だとしたら、就職先は地方公務員を選ぶ。本当はそれが、正解だったのだ。
 やりがいとか、自己実現とか、女子にもてまくりたいとか。そんな余計なことを一切考えずに、もっとも愚直な安定の道を選ぶ。先の人生のことを考えれば、それが世間智というものなのだ。
 将来は市役所の職員になりたいと、瞳を輝かせて夢を語る――ただの馬鹿にしか見えないそんな学生こそ、真の賢者だった。
 外資系証券マンでも、何でもない。その実彼らこそが、本当の勝ち組だったのだ。

     *

 それに比べて、かく言う私自身はと言うと。
 成績も知能も、外資系に行ったエリート学生と比べても、遜色はなかった。あくまで本人に言わせればだが、こちらの方が万事において、はるかに上のはずだった。
 だがしかし、詳細は伏せるが、ちょっと頭がよすぎて人生の選択を誤ったために。そのうえ変な誇大妄想にも取りつかれたために、転落の一途をたどり、あとはただ素寒貧の老後だけが待ち構えている。

 ん? ちょっと待てよ。ということはだ、さっきのあの窓口の市役所職員も、薄々気が付いていたのかもしれない。
 個人情報は握っていないまでも、身なりやら何やらで、だいたい察しはつくものだ。
 偉そうな顔をして他人を論破して、マウントを取ってきたクレーマーも、実は年収は自分の半分以下の負け犬なのだ。結婚もできず、跡継ぎもなく、あとはただみじめに野垂れ死にするだけの運命だと、わかっていたのかもしれない。
 
 私に言い負かされて、ぐうの音もでなかったあの冴えない風采の中年男も、本当は勝ち誇っていた。
 俺なんか9時5時でちんたらやっているだけで、年収800万だぞ。お前なんかただ頭がいいだけで、財布の中身は俺の足元にもおよばない、下流市民なのだと。
 論破をくらってへこんでいたように見えた卑屈な男も、実はそうではなかった。そうしてうな垂れたふりをして俯きながら、本当は内心、必死に笑いをかみ殺していたのかもわからない。

 マウントを取ったはずの自分が、実はひそかにマウントを取られていた。――そのことに気づいた私の落胆は、いかばかりだったろう。
 さっきまでの、論戦に勝った高揚感はすっかり消え果て、恥辱の思いに打ちひしがれながら、ただトボトボと市役所の門を出た。
 そのときの私の顔が、熟柿のように紅潮していたとしても、それは昼間からやっていたアルコールのせいばかりではなかったのだ。――

参考過去投稿:
「緑のおばさん」が実は地方公務員だった件 
公園にゴミ箱がない 

コメント

タイトルとURLをコピーしました