暴対法( 暴力団対策法 )の時代

 思えばひどい時代であった。

 極道が我が物顔で、街を歩いていた。
 鉢合わせしそうになると、みんなかかわり合いになるまいと、横道にそれて難を逃れた。
 
 万一正対してしまつた場合には、敬語を使い、直立不動でお言葉を待った。
 やくざに睨まれたら、東京湾に死体が浮く、と真顔で信じられていた。小市民の間には、そんな都市伝説が流布していた。
 実際たくさんの土座衛門が、毎日プカプカ浮いていたらしい。(←さすがにこれは冗談 笑)

     *

 何で裏社会の人間が、そんなに大手を振って活動できたのか?

 オレたちに掛かったら、警察も恐れをなす。国家権力も、うかつには手を出せない、とヤーさんたちは豪語していた。 
 たがもちろん、それは違う。
 「国家」には、いざとなったら軍隊(自衛隊)だって付いている。まともにやりあったら、どんな組織だって、たとえ天下の山口組だって、勝ち目なんかあるわけがない。
 てことは、結局はすべてが、「お目こぼし」だっだのだ。

 法律と警察だけで、世の中のすべてが、仕切れるわけじゃない。
 国家の手が及ばない、日常のこまかなことや、裏の世界のことはお前らに任せた、と。
 持ちつ持たれつと「なあなあ」で、よろしくやっていたわけだ。

 そのうえ、本当にヤバい仕事は、本体の政治家は手を出せない。
 ロシア(ソ連)だったらKGBがやるような闇の案件は、こっそり暴力団に処理させていたらしい。
 もちろんそんな証拠は、誰一人、本当に掴んではいないのだが。――

     *

 「国家」とまともにやりあったら、たとえ天下の山口組だって、勝ち目なんかあるわけがない――そして実際、そういう時代が訪れたのだ。
 「暴対法」の登場である。

 極道たちのやりたい放題に、警察もさすがに痺れを切らした。本腰を入れて対峙する――退治することを始めのだ。
 そればかりではない。世情も大きく動いていた。
 グローバル化が進展し、よくも悪しくも、日本的な体質は駆逐されていった。
 裏と表の使い分け。いかがわしい二重基準。そんなものは、もはや許容されない。
 コンプライアンスと正義と倫理と、息が詰まる ほどお行儀のいい、品行方正が求められた。

 だとしたらもはや、ヤクザなるものの存在は、ありえるはずもなかったのだ。
 1992年3月、暴力団対策法(暴対法)が施行され、ヤクザ稼業を成り立たせていた、ほとんどすべての営みが禁止された。(注)
 みかじめ料も。取り立ても。地上げも。入札も。あらゆる種類の「要求」が、摘発の対象とされた。
 これではとても、食ってはいけない。
 指定暴力団の構成員の数は、もはや盛時の10分の1となった。見る影もない。
 それでも警察は、手を緩めない。完全に壊滅させるまで、叩きのめすつもりなのだ。

 国家権力だけではない。
 都道府県のような地方自治体までもが、少々調子をこいて、尻馬に乗った。
「暴力団排除条例」と総称される、無茶苦茶な規則をでっちあげた。
 ヤクザはありとあらゆる契約と、取引を禁じられた。アパートを借りられない。銀行口座も作れない。携帯電話も持てない。就職もできない。
 これではもう、「勘弁してよ」と情けなく、泣きべそをかくしかない。

 これじゃあさすがに、やりすぎだろ。基本的人権の侵害だ。いくらなんでも、あんまりだ。カワイソすぎる。――かつては恐れられ、蛇蝎のように嫌われていたヤーさんが、今ではすっかり哀れまれる、同情の対象になってしまった。

     *

 変化は当然、カルチャーの領域にも現れる。

 遠い過去の時代には、ヤクザは任侠と呼ばれ、むしろ尊崇とあこがれの的だった。
「国定忠治」しかり。「清水の次郎長」しかり。講談であれ芝居であれ、大衆文化の定番の出し物は、彼らだった。
 義理人情にあつく、強きをくじき弱きを助ける。いざとなったら、 体を張って権力にも立ち向かう。それが「任侠道」と呼ばれ、人の踏むべき道とされた。
 義侠心のことを、 「侠気」と書いて、「おとこぎ」と読ませた。
 どんだけジェンダーバイアスなんだよ、と突っ込まれても、知ったこっちゃあない。

 昭和になっても、基本的風潮は変わらなかった。
 芝居は映画に取って代わられ、1960年代には東映の任侠映画が大量に制作されて、どれもが大当たりを取っていた。
 鶴田浩二や高倉健が、あこがれの大スターとなった。健さんの背中の唐獅子牡丹の入れ墨は、男たちを痺れさせ、ため息すら誘った。
 あ、すごいタトゥーだ。なんて言ったら、ファンに張り飛ばされたにちがいない(笑)

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 70年代になると、任侠映画は「ヤクザ映画」と呼称を代え、暴力団同士の抗争がテーマとなった。
 勧善懲悪はさすがに古臭いと、寝返りも闇討ちも、何でもありの裏の世界が描かれたが、それでも人気は衰えなかった。
  1988年のテレビドラマに、長渕剛が主演の『とんぼ』があった。これもまた、まぎれもない極道物だった。
 第一回で舎弟役の哀川翔が、「やくざって、ホントいいですねえ」とのたまったくらいだから、まだまだヤーさんを尊ぶ風潮は命脈を保ったいたわけだ。

 だがしかし、90年代、ここでも暴対法の出現がすべてを変えてしまった。
 礼賛は論外として、否定の文脈でもヤクザは扱えない。触れてはいけない、タブーとなった。
 平成の国民文化から、極道はすっかり姿を消した。
 ひたすら健全で、清潔で、良識的な令和ワールドから。いかがわしい過去の存在は、完膚なきまでに、抹殺されなければならなかった。 

 今日日きょうびの若者は、ヤクザなんて、言葉でしか知りはしない。その何たるかなんて、まるでわかっていない。
 妙に気張った格好をした、変なオジサンだ、くらいにしか思っていない。

 先日若い女性の乗った、オシャレな赤い車が、暴力団の事務所の前に差し掛かった。
 路上駐車のベンツが、道をふさいでいる。
 邪魔じゃないのよ、どかしなさいよ、と女性がクラクションを鳴らしまくっていた。
 おそろしや、おそろしや。
 その後の顛末は知らないが、イマドキの世間知らずの女の子にあっては、こわもてのヤクザも形無しなのだ。

     *

 最後に今ではなつかしい、極道用語をおさらいしておこう。

「誠意を見せろ」――金をよこせ、の意。
 露骨に金銭を要求すると、恐喝罪の構成要件となる。有罪を回避するために、用いられる婉曲語法である。
 言葉の裏の意味に思い至らずに、必死に平身低頭などをして、「誠意」を見せようとしてもムダである。
 こいつどんだけ鈍感なんだよ。バカかよ。とかえって、ますますヤーさんを苛立たせるだけである。
 とっとと金を払わないと、すぐに血を見ることになる。

「夜道には気をつけろよ」――闇討ちして、刺してやるから覚えてやがれ。つまりは、意のままにならない相手を、そう言って脅してるわけだ。
 帰り道の安全の、心配までしてくれているんだ。なんてやさしい、いい人なんだろう。なんて、勘違いをしてはいけない(笑)
 世の中の裏を、もっと勉強した方がいい。

「ウチの若い者は、血の気が多い」――子分たちを使って、お前を襲わせるぞ。これもまた脅迫の、定番ワード。
 部下の従業員の、血圧の心配までしてくれているんだ。理想の上司じゃないか。なんて思ったバカは、まさかいないよね。

「ムショ」――刑務所の略称。
「オレはムショ帰りだ」と言えば、刑務所から出所したばかりだ、の意味となる。
 このセリフでスゴむと、このお方は法の裁きを恐れない、命知らずの人間なんだ。何をされるかわからない というので、みんなビビりまくったものだ。

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 暴対法の威光で、当世では表立ってのヤクザ稼業は、ほとんど不可能となった。
 カタギを偽装するために、「フロント企業」と呼ばれる会社を立ち上げて、隠れ蓑とすることが多い。

 表向きは立派な企業だから、税金も納める。当然、確定申告もする。
 だからこそ、次のようなしょうもないジョークも、生まれてしまうのである。

――ムショ帰りのやくざだというのでビビったら、税務署の帰りだった……

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