一時 「歩きスマホ狩り」みたいなものが、流行ったことがあった。
歩きながらスマホに気を取られている人に、こちらからわざと激突して絡む。「歩きスマホしてんじゃねえよ。危ねーじゃねえか」といちゃもんをつける。
ちょうどガラケーがスマホに置き換わり、みんなが新しい機器に夢中になっていたころだ。事故があったりして、「歩きスマホはやめよう」みたいなマナーの呼びかけが、しきりに行われていた。
歩きながらはいけないと、みんなわかっていながら、ついついやってしまっていた。
だからそうして文句をつけられても、反論する者はいない。ひたすら平謝りするばかりなのだ。
中にはぶつかったはずみで、転倒する者もいる。怪我をすることさえある。それでも不注意だった自分の方が悪いのだから、怒るわけにもいかない。
そうして文字通り、地べたに這いつくばって、それでも「すみません」繰り返すしかなかった。
平身低頭し、土下座する――そうして正義の味方に屈服して、必死に赦しを請う哀れな女(注)を見下ろしながら、
「気をつけろよ、馬鹿野郎」
と捨て台詞を吐きながら、スマホ狩りの男は、勝ち誇ったようにその場を後にしたものだ。
(注:ぶつかった相手がヤーさんだったりして、殴り返されでもしたら大変だから、ちゃんと弱そうな相手を選ぶ。
選ばれるのたいてい華奢な女性か、なよなよ男である。)
*
その昔「当たり屋」(注)というのがあった。
まあ今もあるんだろうが、故意に車に接触して、人身事故を装う。治療費を名目に、金をふんだくるわけだ。
スマホ狩りもやることは似たようなものだが、当たり屋の方はあくまで商売である。スマホ狩りで金品を要求した、という話はあまり聞いたことがないから、けっして同列ではない。
金目当てでないのだから、こっちの方がたちが良い? まったく逆である。
金のためでもないのに、そんなまねをしているから、なおさらたちが悪いのだ。
金じゃないとしたら、彼らが求めているのは、一体何なんだ?
純粋に、快感である。
ただのサディズムじゃない。相手から土下座されることで、勝ち誇れる。自分には力がある、大物だと錯覚できる。
すっかり失くしていた、自尊心がよみがえる。いわゆる、マウントを取るってやつだ。
うだつの上がらぬ人生を送ってきた連中が、生まれて初めて味わう蜜の味だ。病みつきになるのも、当然なわけだ。
店の「お客様」が店員をいびる「カスハラ」と、根は同じだが(注)、こっちには明らかな大義がある。
何しろ「歩きスマホはやめよう」の、公式の標語を味方につけている。正義をかさに着ているわけだから、ただのイビリじゃない。制裁とか、成敗という名目になる。
その瞬間、あれほど無意味だった自分の存在が、正義の志士として位置づけられる。
そうして得られる自己肯定感が、こたえられない悦楽をもたらすのだ。
まあごくごく簡単に言えば、すっきりできる、ってことだ(笑)
*
最近はこの「歩きスマホ狩り」も、あまり見かけない。
おそらくはその黎明期と違って、今では「スマホ」も「歩きスマホ」も、もう当たり前になりすぎたからか。いまさら角を立てるようなものでもあるまい、というわけだ。
だがしかし流行の衰退には、もう一つ理由がある。
同じ「連中」が、矛先を変えた。主戦場をネットに移したわけだ。
彼らの見つけた、もっと愉快な憂さ晴らし。それが「有名人叩き」だ。
たいていは芸能人か何かの、上流国民の不祥事やら、失言やらを標的にする。
ネットリンチで土下座させる。願わくは業界から放逐し、店舗なら閉鎖に追い込む。ときには首もくくらせた。
「ベッキー事件」あたりから始まったその有様は、ご存じの通り。ここでも述べた通りだ。
当然そこにも、スマホ狩りと同じ効能がある。
目一杯マウントが取れる。偽りの有能感、というよりも全能感。まがいものの自己肯定に、酔いしれることができる。
だがしかし、そればかりではない。
かつては一匹狼で歩きスマホを襲っていた連中が、今では徒党を組んだ。みんなでやっつける。一斉に攻めかかる。
そうして群れをなすことで、個々の力は否応なく増していく。そのうえ集団行動は、もはやゆるぎない一体感をもたらした。それがおそらく、もっとも肝要なのだ。
それまでは世間のつまはじきで、誰からも相手にされなかったカスどもが。今こそ正義の軍団の、一員となった。
そこに生まれる帰属の感覚が、やつらには何物にも代えがたい、生き甲斐そのものとなったのだ。
*
今回も例の歌舞伎役者の家族が、悲運に見舞われた。
なんでも週刊誌に握られた、スキャンダルが原因らしい。
既に報じられている以外にも、もっとヤバい続報ネタがあるらしい。
怨敵だった上流国民が、また一人餌食になったわけだから、連中もさぞ溜飲を下げているだろうって?
たぶんそうはなっていない。
何しろこの一件では、彼ら自身の出番が、まったくなかったのだ。
通常のパターンならこうだ。
週刊誌だろうが何だろうが、最初にネタが上がる。それにネットが飛びついて、沸騰する。その「世論」の圧力に耐えかねた標的が、ついに音を上げる。――
それがお決まりの手順なのに、今度は勝手が違った。
標的たる人物の、「対処」が早すぎた。週刊誌の報道が、出るか出ないかのうちに。ネットが騒ぎになる前に。まるで先手を打つかのように、早々に手を打ってしまった。
フライング気味に、一家心中に走ってしまった。
自分たちの出る幕がなかったので、ネットの連中は、たぶん地団駄踏んでいる。
これじゃあ自分たちが、追い込んだことにならない。全然手柄にならない。いつものような、満足感にひたることが、できないじゃあないか。
ちゃんと間を取って、ネットリンチで血祭りになってから、首くくってくれればよかったのに――というのがきっと、ヤツらの本音だと思うよ。……
(注)
今回の「自殺」未遂は、偽装だった可能性も高いね。
どのくらい加減をすれば、命を落とさずにすむかは、だいたいわかるものだからね。
本当に死のうと思えば、死にぞこなうなんてことはまずないし。
両親に対する殺人を、隠ぺいしようとしたのか。
はたまた自殺を試みるほど、思いつめているんだということで、不祥事の免罪を得ようとしたのか。
まあ、どうでもいいけど。
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