神様になれるとき――カスハラが絶えない理由

「カスハラ」という用語が使われだした。
 現象としてはかなり前から目についていたが、ようやく言葉の方が追い付いてきた感じだ。

「カスタマー・ハラスメント」の略である。つまりは店の客が店員に、あの手この手のいやがらせをすることだ。
 例えば、お釣りの渡し方が乱暴だったといちゃもんをつけて、何度も土下座させる――その類いのことだが、もっとトンデモな事例が、ネットにいくらでもころがっている。

 その背景は、明らかである。
 そもそもがサービス産業が、下手に出すぎたのがいけない。それで客がすっかり図に乗って、つけあがってしまった。

「お客様は神様です」は極端としても、「お客様」という呼称が、当たり前に使われる。そんな言葉遣いが作り上げた、いわば仮構の上下関係が、奴らを勘違いさせたのだ。

     *

 その手の客は、単に頭が悪いばかりではない。
 ふだんから、まったくうだつが上がらない人生を送ってきた。
 誰からも下に見られて、踏みにじられ。貧乏で、地位も、ときには職もなく。
 いいことなんか、何もない。生きていたって、何の意味もない。クソみたいな毎日だ。――そんな奴らが今、突然「様」と呼ばれたわけだから、舞い上がらないわけはない。

 その瞬間、世界の見え方が一変する。
 え? 俺って本当は、「様」だったんだ。下の下の下の、虫けらじゃなかったんだ。 
 貧乏くさいじじいと思えたものが、実は黄門様であったように。今ではみんなが自分の前に、ははーっとひれ伏しているのだ。
 それを知った瞬間に、それまで卑屈に腰をかがめていたクズ野郎が、急にふんぞり返る。
 それと同時に、これまでの鬱憤が一気に噴き出すのだ。
 これまで自分がされてきたように、目の前の「劣った」人間に、ここを先途とマウントを取りまくる。――

 本当の大人物なら、自然と物腰は柔らかになるものだ。この私みたいにね(笑)。
 だけど小物入れに入っていたような、あんなつまらない連中に限って、おだてると目一杯その気になって、増長するのだ。

     *

 もちろんそれは、ただ「様」だけにかぎらない。
「させていただきます」「でございます」――どうしてそんなに、卑屈になることがあるんだろう。召使いじゃないんだから。

 じかに話しかけるときは、「お客さん」でいい。書面では、「利用者」で十分だ。
「利用者は各レジに並んでください」。つっけんどんに聞こえるかもしれないが、慣れてしまえば当たり前になる。
 ウチがお気に召さないのなら、どうぞよそにいってください、という強気な態度を取ることだ。
 もちろん一軒だけがそれでは、角も立つだろう。だがすべての店が、一斉に足並みをそろえれば、奴らはもう行くところがなくなるわけだから。
 とりわけ公共の、たとえば交通機関とかなら、なおさらだ。ウチの電車は二度と使うなと、出入り禁止を言い渡せばいい。「地域の足」を失くした客は、たちまち途方に暮れるしかなくなる。

 大袈裟に言うなら、パラダイムの転換だ。
 お客様に、お買い上げいただいているのではない。お前らに、品物を売ってやっている。うちの店舗を、使わせてやっている。
 昔の社会主義の国営企業みたいに、上から目線で、鼻であしらうのだ。
 そうすれば奴らも、自分がやっばり下郎であったことを思い出して、どうぞワタクシメにカップ酒をお売りくださいと、ペコペコ頭を下げ始めるにちがいないのだ。

     *

 以前英語をよく知らない知人が、カスハラとは人間のカスが――人間のクズが店員をいびる、と勘違いしていた。

 思わず笑ってしまったが、本当はある意味、それで十分正解なわけだ。――

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