性的少数者は少数者ではない

 LGBTのトイレのことが、問題になっているね。
 詳細を語れば面倒になるから、「そもそも論」だけにしておこう。

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 そもそも社会なるものは、その構成員全員に適合した制度を、設計することなど不可能である。
 日本で言うなら、1億2千万の国民すべてが満足のいくシステムを、構築することなど到底できるものではない。

 別にトイレだけの話ではない。性だけの話ではない。
 万事において、おおむね平均のあたりにあわせて運営する。そこからズレてしまった人間は、それぞれに折り合いをつけて、ある程度我慢してもらうしかないのだ。

 万事において――性だけではない。身体的に。経済的に。性格的に。宗教的に。信条的に。……
 そんなすべての面で、平均に合致する人間なんて、いるはずもない。
 たとえば性的には尋常でも、経済的には極貧にかたよる、というようなことがある。
 誰もがきっと一つは、個人的な悩みを、少数派の違和感を感じながら生きている。
 その全員が、つまりは1億2千万の国民すべてが、「オレにも合わせろ」と権利を主張しだしたら、社会など成立するものではないだろう。

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 そもそも「性的少数者」は、けっして少数者などではない。
 正確なデータなどもちろん取るべくもないが、各種調査によれば、LGBTを合わせれば人口の3%~10%が該当するという。
 最新の政党支持率の調査で、野党第一党の立憲民主の数字が5.3%だ。それを考えればLGBTは、さすがに主流派ではないとしても、けっして少数とは言えない。
 そんなことを言ったら、社民党(0.6%)はどうなってしまうんだ、って話だ(泣)
 うがった見方をすれば、選挙で意味を持つ規模の集団だからこそ、政府もLGBT法案を検討しているわけだ。

 一億人の10%と考えたら、一千万だ。すさまじい数字で、とても少数などと言えるしろものではない。
 野党第一党に匹敵する数がいる。力がある。発言力がある。だからこそ束になって、声高に権利を主張しているんだろう。
 テレビをつければLGBT。新聞をめくれば。口を開けば。
 もちろん当事者たちは、煽られているだけかもしれない。むしろ周囲が勝手に騒いでいる。
 一つ覚えのコンテンツ作りしかできないマスコミの問題だろうが、あれだけさんざんやられると、さすがにもうげんなりしてくる。
 自分は元来、性に関してはまったく偏見のない、オープンな人間だ。だがここまで「のさばりかえる」感が出てくると、だんだん腹が立つ。かえって何だか、嫌悪さえ感じてきてしまう。――

 世の中には「性」だけではなく、あらゆる差異があり、そこには無数の少数者がいる。
 その中には10%とかではない、本当の少数者もいる。それこそたった一人だけの異常を、抱えて苦しむ者もあるかもしれない。
 光も当たらない。論じられることもない。おしゃれな横文字の名前を、付けられることもない。
 主張もできない。声も拾ってもらえない。
 それでも何とか折り合いをつけながら、我慢してやっていく。
 そんな彼らの――というより私たちのみんな謙虚さには、きっと学ぶべき知恵があるのにちがいない。

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 一体どんなトイレがいいのか。何種類作ればいいのか。どんな使い方をすればいいのか。
 そんなこと議論しても、結論など出るはずはない。
 みんなそれぞれが、我慢すればいい。折り合いをつけるしかないのだ。

 すべての無数の不満を、聞き届けることなどできるはずもない。
 それでは何パーセントの少数者から、切り捨てるのか? そんなことを決めたとしたら、かえって横暴だろう。
 だとしたらやはり、みんなが少しずつ歩み寄るしかない。譲りあうしかないのだ。

 けっして少数派だけが多数派に合わせろ、と言っているわけではない。多数派の方も辛抱が必要だ。
 あんな連中がトイレに入ってきたらたまらない、みたいな反応も、いかがなものかと思う。 

 別に「みんな仲良くやろうよ」と、お人よしな掛け声を、かけているわけではない。
 ただ社会というのは、組織というものは、そういうものなんだ。
 平凡すぎるかもしれないが、それが一番妥当な見解だと思うのだが、いかがであろうか。――

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