かつて一世を風靡したギャグがある。
――「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
確かに、これほど人間世界の実相を、言い得て妙なものはない。
たとえば倫理道徳の、観点から見れば。
非常識で不道徳とされる営みも、いったん大半の人間がこれを行うようになれば、多寡の原理でたちまち常識となり、道徳的とみなされることになる。――
またこれを政治の文脈で捉えれば、こういうことになる。
民衆が法を犯し、為政者に刃向かかえば、当然処罰される。
だがもし数を恃めば、――全員がそろって反逆すれば、お上ももはや手を出せなくなる。
それはそうだろう。全員を処刑してしまっては、その瞬間からもはや、国は成り立たない。
搾取される者たちが誰もいなくなってしまっては、たちまち彼らも、おまんまの食い上げになってしまうのだ。
「みんなで渡る」ことは、そんな権力の弱点を突いた、民衆の永遠の知恵だと言っていい。
*
だがしかし、敵もさるものだ。支配者の側にも、これに対抗する知恵がある。
――「先頭で、渡ったやつを処刑する」
そんな世にも恐ろしい、返歌が戻ってくる。
つまりは、見せしめである。集団を率いた者、一番目立ったものだけを、その代わり一番陰惨なやり方で残害するのだ。
たった一人と言うなかれ。
誰もが自分だけは、その「一人」にならないように――先頭に立たないようにと身をふるまう。互いにけん制しあううちに、暴徒たちはじりじりと引き下がっていく。
中には誰かを先頭に押し出そうと、後ろから背中を突くようなやつも現れて、統率は一気に崩れてしまう。――
かくして、威嚇の効果は絶大となるのだ。
*
もちろん民衆の方も、いつまでも黙ってはいない。暴君を出し抜くための、さまざまな工夫を凝らしてくる。
たとえば唐草連判状注というのがあるだろう。
そうしてけっして、誰も先頭には立たぬこと。足並みをそろえること。一斉に、必ず集団で事に当たること。――
だがしかし、悲しいことに最後に勝つのは、いつでも統治者の方なのだ。
――「くじ引きで、当たったやつを処刑する」
そうだった。 別に先頭の者でなくてもいいのだ。無作為に、任意の一人を斬罪すると宣言すれば、それで足りる。
たとえ千人のうちの一人の確率でも、それが自分に当たる可能性がある以上、誰一人思い切ることはできない。
恐怖で縮みあがり、凍り付く。
かくして、北朝鮮の人民は凍り付いたまま、いまだに金一族の暴虐を許している。
永遠にその支配を、逃れることができない。――
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