万引き一つで死刑でいい(2)

(話は前回から続く)
 刑罰に軽重があってはならない。
 殺人罪も窃盗罪も、額面上の刑罰は同じでいい。――

     *

 刑罰の存在理由の中で、もっとも重視するべきなのは、その抑止効果であろう。

 私には、殺してやりたい奴がいる。
 だがもし殺してしまったら、自分の方も死刑になってしまう。だから思いとどまっている。
 それはもちろん、私一人だけではないだろう。みんなが同じように考えるから、もしも死刑がなかったら、世の中は殺人だらけに――殺し合いだらけに、なってしまうにちがいない。
 つまり刑罰があることによって、犯罪が抑止される。秩序が守られる、という考え方だ。
 
 刑罰をちらつかせながら、法が睨みをきかすことで、社会の安定が保たれる。悪党どもの手足を縛る。
 もちろん法が、その威嚇の効果を保つためには、刑罰は重ければ重いほどいい。
 コソ泥を働いたら、死刑になるとわかっていれば、誰も手を染めはしない。
 十万円かそこらの金品のために、命を賭けるというのでは、どうみても割に合わないからだ。

     *

 だが現実の世の中は、そんなふうにはなっていない。
 万引きでブタ箱に十年ぶちこまれた、なんて話はかつて聞いたことがない。よほど悪質な常習犯でも、せいぜい二年の懲役だ。たいていの場合は罰金刑か、執行猶予だろう。

 それも起訴された場合の話で、大半の万引きは起訴さえされていない。そればかりかおまわりさんの裁量で、微罪だというので、検察送致さえされないのがほとんどなのだ。
 これでは完全に、ナメられてしまう。何だけっこうダイジョブじゃないか、と思わせて、法の威厳はみるみる失われる。
 これでは万引きするヤツが、跡を絶たたないのも当然なのだ。

 万引き程度でいちいち立件していたら、たちまち牢屋が満杯になってしまう――それが微罪派の理屈だろう。
 違反者が多すぎるから、厳罰を処せないのか。 厳罰に処さないから、違反者が多いのか。
 鶏が先か卵が先かというのは水掛け論だが、今の場合は、理がどちらにあるかは明らかだろう。
 もしもすべての犯罪で、死刑となりうると喧伝したら、その瞬間から刑務所はがら空きになる。
 それだけは間違えなく、私が保証しよう。

     *

 なぜ現実の刑罰には、軽重を設けているのか?
 そこには一つには、「応報刑」という考え方がある。

 やられたらやり返す。それが人間なら、というよりも動物なら誰もが抱く、自然な報復感情だ。
 だが個人が勝手に、復讐合戦を繰り広げていたら、世の中は治まりはしない。だから国家が一手に、制御的に復讐を代行する。それが刑罰だ、というわけだ。
 だがその場合、刑罰はあくまで被害と釣り合う、範囲内でなくてはならない。
 『ハンムラビ法典』の、「目には目を、歯には歯を」はあまりにも有名である。だが歯を折られただけなのに、命まで取ってしまっては、あきらかに「やりすぎ」なのだ。
 そんな歯止めのない刑罰は、もはや刑罰ではない。「応報」でも「仕返し」でもなく、新たな犯罪行為と見なされてしまうのだ。

 万引きがたいてい、あの程度の処断にとどまっているのは、この古い応報の思想の名残であるにちがいない。
 だがそこにはまたもう一つ、「教育刑」という考え方がある。
 道を踏み外した者を、本来の姿に立ち返らせる。そのための手段として、刑罰があるととらえるのだ。
 犯罪者たちを矯正し、健全なる一市民として更生し、社会復帰させる。
 そしてそのためには、もちろん死刑はおろか、懲罰はあまりに過大なものであってはならない、というわけだ。

 もちろんどちらの理屈も、十分考慮に値する。私だって、敬意を払うつもりはある。
 万引きで死刑にしてしまっては、応報と教育の観点から、確かに問題がありすぎる。
 そもそも冤罪ということがありうる以上、命を奪ってしまっては、取り返しのつかないことになりかねない。
 だから死刑というものは、けっしてあってはならない。

 だがしかし「実際には死刑を行わない」というのと、「そもそも死刑を掲げさえしない」というのは別のことだ。
 あくまで上限として死刑を定めておいて、実際の運用においては、けっして実施しない。
 ちょうど永遠に用いることはない核兵器を、それでも保持し続けるように。
 死刑を振りかざして威嚇することで、犯罪を抑止する。
 そんなやり方は、それほど不自然だろうか。

     *

 推奨。
 刑法235条、改訂版。

窃盗罪:盗みを働いた者は、死刑又は無期等の懲役、もしくは50万円以下の罰金刑に処する。


 実際の量刑は、どんなに甘くてもかまわない。情状酌量は、し放題でもいい。
 初犯だから。貧困に迫られたから。魔が差しただけだから。またまだ更生の余地のある年齢だから。
 あらゆる事情で差っ引いていって、結局宣告刑は罰金でもいい。
 できれば前科だけはちゃんと付けてほしいが、最悪は不起訴でもかまわない。 

 ただそうして、額面に死刑が記されているだけで、効果はてきめだ。
 上限として燦然と輝く死刑の二文字が、悪たれどもをびびらせることができる。
 まず当たるはずのない宝くじを、それでも信じて買い続ける。――それとちょうど逆のことが、起こるのだ。

 万引きで死刑になった前例など、これまで一つもないと、たとえ知ってはいても。理論上はそれがありうる・・・・と考えただけで、カップ酒に伸ばそうとした手がぴたり止まる。
 死刑台の幻影がちらついて、思い直す。――
 そのようにして、すべての犯罪は抑止されるのだ。

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