(話は前回から続く)
「上げ馬神事」(注)を動物虐待とか言っている連中は、低能児ばかりだ。――
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だいたい動物愛護なんて、言っている連中にかぎって、動物を虐待している。
お前らマンションで、ペット飼ってないか?
うちの子は裸でかわいそう、って飼い犬に毛糸のベストを、着せてないか?
そういうのを、本当の虐待って言うんだ。
美しい狼たちを、人間に尻尾を振るだけの、世にも情けない生き物に変えてしまったこと。
完全防寒の毛皮をまとった動物に、その上重ね着をさせていること。
要するに彼らをただの、ままごとのためのぬいぐるみにして、そのQOLを――存在の質そのものを劣化させたこと。
それがこそが、最大の虐待なんだ。
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動物を擬人化する。人間の気持ちを感情移入して、勝手に解釈する。
ウチのワンちゃんは幸せそう、と思い込む。寒かったでしょ、痛かったでしょ、と同情する。
だが動物の気持ちなんて、本当は誰もわかりはしない。
飼い主の自己満足のために、一生マンションの部屋の中で、買い殺されたチワワと。
神事のためには華々しく、犠牲になったサラブレッドと。
どっちが幸せで、どっちがみじめなのか。そんなこと一体、誰が言い切れるんだ?
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そもそも生き物というのは、本来他の種のことを、思いやったりはしない。
そんなものは、ただの餌食か、お互いに縄張りを侵し合うライバルでしかない。
人間が動物を、利用できるだけ利用する。それが本来自然の姿で、なんにも問題なんてありはしない。
かわいそう、とか言っている連中は、ここでも動物を、ぬいぐるみか何かと勘違いしている。
ぬいぐるみを抱いて、ままごとをしているから、あれこれどうでもいいことを語り掛ける。
まあかわいそう、寒いでしょう。痛かったでしょうと、騒いでいるわけだ。
そもそも遠い過去の時代、サバンナの猛獣たちは、ホモサピエンスの先祖たちを、愛護してくれたとでも言うのか。
あの二本足の貧相な猿どもを、もし獣たちが襲わなかったとすれば。
それはあくまで、満腹でげっぷが出ていたからで、もとより「かわいそう」に思ったからではないのである。――
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