最近、正論屋どもが、また新しい言葉狩りを始めた。
「馬鹿でもチョンでも」は差別用語だ、けしからん、というわけだ。
とんでもない事実誤認である。
確かに「チョン(=朝)」はかつて、朝鮮人の蔑称として、用いられたことがある。
だがこのフレーズに関しては、それはそうではない。
「馬鹿でもチョンでも」という言い回しは、日本ではもっとはるかに遠い昔から、用いられてきた表現である。
少なくとも江戸時代には、いくつも文献が残っている。(用例は各自調べてください。私からの宿題です 笑)
ご存じのように、朝鮮人に対する差別が始まったのは、明治の帝国主義以降のことである。
江戸時代には、かの国の方々は先進文化を伝える存在として、むしろ仰ぎ見られていたくらいなのだ。
朝鮮通信使の一行に、学者たちが教えを乞おうと、押しかけたのは有名な話である。
そんな時代に、差別などあろうわけがないのだ。
そもそもここで言う「チョン」は、朝鮮人どころか、誰か人間のことを指しているものではない。
たとえばつい最近の、昭和の時代まで、
「疲れたのチョンだのと、文句ばかり垂れやがって」のようなセリフが聞かれた。(何のことはない、ウチの死んだ親父の口癖である 笑)
もちろん朝鮮人が出てくるような、文脈ではない。
ここでは「チョン」とは、「疲れたの何のと」と言うのと同じで、「同種の、似たようなこと」を指す表現なのである。(面倒くさいので語源は調べていない 笑)
そうなれば「馬鹿でもチョンでも」は、「馬鹿や、その他類似の人間でも」の意となる。
もとより鮮人差別の問題が、入り込む余地など、あるはずもないのである。
「ろくに調べもしないで、差別だのチョンだのとほざいてんじゃねえよ。クソ野郎!」
と、今の僕の素直な気持ちを君に伝えたい(笑)。
もっとも自分もろくに調べていないので、全然他人のことを言えた義理ではないが。――
コメント