「男らしい」「女々しい」のような言葉が、また正論屋どものやり玉に上がる。
女性蔑視だ、差別だ、と目くじらを立てているのである。
まったくもって、的外れの批判である。
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ちなみにお国自慢というのを、御存じだろうか。
おらが村が一番だ、というあれである。
たとえば広島県人なら、「野球はカープが一番じゃ」「東京モンは信用できん」と言うだろう。
あれは無知な田舎者たちの、偏見だろうか? よそ者への差別だろうか?
もちろん、そんなことはない。
すべては純粋に、彼らの故郷愛の発露なのだ。
彼らだって、もちろん頭ではわかっている。
客観的に――科学的に、広島県人がすぐれているわけではない。
東京人が不実であるという、データがあるわけではない。
それでもふるさとへの愛着ゆえに、彼らはそう言いなし、半ばそう信じさえするのだ。
お国自慢とは、そういうものなのだ。
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さて、話を元に戻そう。
彼らが広島県人という範疇に属するように、私は男性という、範疇に属している。
いわば「男」は、私の心のふるさとなのだ。
だとしたら私もまた、私のふるさと自慢をする。
男であることをたたえて「男らしく」と言い、そうでないことを「女々しい」と形容するのだ。
それは偏見でも、差別でもない。
女性は男性と、同じくらいすぐれている。ひょっとしたら、それ以上かもしれない。
そんなことは、もちろん重々承知している。
ただ純粋に、男であることへの愛着が、私をそんな言動に駆り立てるのだ。
すべては微笑ましい、お国自慢の気持ちにすぎず、1点たりとも非難される筋合いはない。
それなのに、何でもいちいちイチャモンをつけてくる、あの女どもの方が低能なのだ。
(ん? これはさすがに女性蔑視?)
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こんな私の物言いを聞いて、屁理屈だ、極論だ、と思われる方もいるだろう。
確かに、そうかもしれない(笑)。
だがしかし、別段それでかまわないのだ。
議論においては、とりあかず相手を言い負かせさえすれば、それで十分なのだ。
とりあえず論が立っていれば、それが真実であるかどうかなど、少しも問題ではない。
たとえはったりの武器でも、論敵をひるませて、やりこめて、黙らせる。――
「論破の帝王」というのは、そういうことなのだ(哄笑)。
ざまあみやがれ、クソ野郎ども。
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