「女々しい」は女性差別ではない

「男らしい」「女々しい」のような言葉が、また正論屋どものやり玉に上がる。
 女性蔑視だ、差別だ、と目くじらを立てているのである。
 まったくもって、的外れの批判である。

     *

 ちなみにお国自慢というのを、御存じだろうか。
 おらが村が一番だ、というあれである。 

 たとえば広島県人なら、「野球はカープが一番じゃ」「東京モンは信用できん」と言うだろう。
 あれは無知な田舎者たちの、偏見だろうか? よそ者への差別だろうか?
 もちろん、そんなことはない。
 すべては純粋に、彼らの故郷愛の発露なのだ。

 彼らだって、もちろん頭ではわかっている。
 客観的に――科学的に、広島県人がすぐれているわけではない。
 東京人が不実であるという、データがあるわけではない。
 それでもふるさとへの愛着ゆえに、彼らはそう言いなし、半ばそう信じさえするのだ。

 お国自慢とは、そういうものなのだ。

     *

 さて、話を元に戻そう。

 彼らが広島県人という範疇に属するように、私は男性という、範疇に属している。
 いわば「男」は、私の心のふるさとなのだ。
 だとしたら私もまた、私のふるさと自慢をする。
 男であることをたたえて「男らしく」と言い、そうでないことを「女々しい」と形容するのだ。

 それは偏見でも、差別でもない。
 女性は男性と、同じくらいすぐれている。ひょっとしたら、それ以上かもしれない。
 そんなことは、もちろん重々承知している。 
 ただ純粋に、男であることへの愛着が、私をそんな言動に駆り立てるのだ。

 すべては微笑ましい、お国自慢の気持ちにすぎず、1点たりとも非難される筋合いはない。
 それなのに、何でもいちいちイチャモンをつけてくる、あの女どもの方が低能なのだ。
 (ん? これはさすがに女性蔑視?)

     *

 こんな私の物言いを聞いて、屁理屈だ、極論だ、と思われる方もいるだろう。
 確かに、そうかもしれない(笑)。

 だがしかし、別段それでかまわないのだ。
 議論においては、とりあかず相手を言い負かせさえすれば、それで十分なのだ。
 とりあえず論が立っていれば、それが真実であるかどうかなど、少しも問題ではない。

 たとえはったりの武器でも、論敵をひるませて、やりこめて、黙らせる。―― 
 「論破の帝王」というのは、そういうことなのだ(哄笑)。  

 ざまあみやがれ、クソ野郎ども。

コメント

タイトルとURLをコピーしました