(話は前回から続く)
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「鬼道を事とし、能く衆を惑はす」( 魏志倭人伝)
つまりは卑弥呼は占いを行うことで、人心を操ったという。
卑弥呼は政治の人物ではない。神に仕える、巫女(ふじょ)のような存在であった。
横文字で言うなら、「シャーマン」である。
呪術を行う。占い、まじない、予言し、神の言葉をのべ伝えた。
卑弥呼が非力であったというのは、あくまでも現実の、政治の世界の話である。
もうひとつの、霊と精神の世界を、しっかりと支配する力があったのだ。
この物心両世界の二重構造は、現代の我々の時代でも、もちろん見受けられる。
だがまだ科学の知られていなかったあのころに、とりわけ顕著だったのは言うまでもない。
人々は迷信深く、神を畏れた。信仰は今では想像も及ばぬような重みを持っていたのだ。
争乱の時代にあって、世俗の統治者たちは和平のために、卑弥呼という宗教的権威にすがった。
この巫女を祭り上げ、いったん連合の命運を預けることで、互いに鉾を収める――そんなやり方を選択したのだ。
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卑弥呼の霊的権威には、彼女が女であることが、大いに貢献していただろう。
少なくとも我が日本においては、シャーマンと見なせるような役割は、おおむね女がつとめていたものだ。
考えてもみたまえ。
女は新たな命を宿し、産み出す性だ。たとえ種(たね)が必要であるとしても、それは間違いなく魔術に近い営みだった。
とりわけ非科学の時代の、男たちの目には、とてつもない神秘に映ったろう。
巫女たちの一挙手一投足が、呪術性を帯びたのも当然の成り行きであった。
そのうえ女たちの、あの虚言癖だ。
女は嘘をつきながら、自らその嘘を信じることができる。
物語を語りながら、その世界に没入し、虚構を現実に変えることができる。
神の言葉を告げるのに、これほどふさわしい資質はなかっただろう。
そのうえ卑弥呼の場合、最高の演出を伴った。
卑弥呼はもっぱら建屋にこもって祭事を行い、人前に姿を現すことはなかった。
ただ一人その弟だけが対面を許され、外の世界とつないでいた。隠すことによって、その神秘性はいやましたのである。
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今では懐かしい昭和の時代に、細木数子(注)という人物がいた。
占術師を自称し、書籍やテレビ番組で、さまざまな予言を行った。一時は「視聴率の女王」ともてはやされたこともある。
ついでに言うなら(笑)、時期をやや前後して、冝保愛子(注)という霊能者もいた。
彼らもまた女であること、虚言癖であることを利して「鬼道を事とし、能く衆を惑わした」。
唯一違っていたのは、彼らがけっして建屋にこもらず、テレビに出まくっていたことだ(笑)
その点を除くなら、彼らは卑弥呼と何ら変わらなかった。
何のことはない、卑弥呼とは古代の日本の、細木数子だったのだ。
そしてもしそうであったとしたら、虚像の霊能者はただコンテンツとして、消費されるだけでいい。
細木数子がどこに居を構えていたか、――その実際の住所などは、芸能レポーターでもないかぎり、格段の関心事ではないのである。
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邪馬台国は一体、どこにあったのか。
そんな積年の議論に、かくして自分は、見事に決着を付けてしまった。
ただ一言、「どこでもいい」のである。
邪馬台国が倭国連合を構成する、あまたの同等の小国の一つにすぎないとすれば。
卑弥呼がその統合のために、たまたま祭り上げられた象徴にすぎないとしたら。
細木数子にすぎないとしたら。
それが畿内にあろうと、九州にあろうと、それを言うなら広い日本のどこにあろうと。そんなことはもはや、「知ったこっちゃあない」のである。
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