生成AIはノーベル文学賞を取れるか?

 生成AIは、ただ作品が作れるというだけではない。独創的な作品を作ることができる。
 アートでも、音楽でも、俳句でも。
 だが文章は――散文の場合はどうだろう?

 もちろん文章を書くことはできる。それはご存じの通りだ。
 だがそれはけっして、独創的なものとはなりえないのだ。

 なぜなら散文は他の作品とは違う、必ず「辻褄をあわせる」ということが必要だからだ。

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 アートの場合なら、これまで誰もなしえなかった発想は、斬新と受け止められる。
 あれ・・これ・・を組み合わせるなんて、人間の思考の枠組みでは、とても思いつかない。さすがにAIは違う、と驚嘆され、賞賛される。

 だが文章では、そういかない。
 これまで誰もしなかったような言葉の羅列は、間違えなく辻褄があわない。
 それがどんなに画期的だろうと、キチガイのうわごとになってしまっては、何の意味も伝えることができない。

 だから生成AIは、ごく常識的な線を狙う。
 それまで学習したデータを参照しながら、どの言葉の後にはどの言葉が来るか、――どういう内容には、どういう内容が続くのがふさわしいかを、確率的に予想する。

「戦争」と言ったら、「悲惨」とか「絶対反対」。「青春」と言ったら、「美しい」とか「希望」とか。
 そうやって無限にしりとりを続けることで、文を紡いでいく。
 内容はもちろん、ごく平均的だ。平凡以外の何物でもない。
 どこかで何度も聞いたような内容が、もっともらしく切り貼りされる。

 一と一を足すと二になる、というような当たり前の主張が、声高に叫ばれる。
 クソ面白くもない。読むには値しない。
 読者の精神を揺さぶるような衝撃も、革命も経験できない。
 要するに「天声人語」そのものなのだ(参考過去投稿

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 よく学校の先生たちが、懸念する。
 もし生徒たちが課題の作文を、生成AIに作らせて提出したらどうするのか、と。
 だがそれは、生成AIの打ち出す文章が、学生の作文に似ているからだ。いかにもどこにでもいる普通の高校生が、書いてきそうな内容だからだ。

 だが文学賞では、そうはいかない。
 生成AIの書いた小説は、けっしてノーベル文学賞を受賞できない。
 なぜならばそんなものは、独創性のかけらもないか、その逆に独創的すぎて意味不明であるか、どちらかだからだ。

 天声人語を何万語に連ねたとしても、文学にはならない。
 万が一そんな小説が、賞を取ったとしたら。
 それは選者の頭が、生成AIだからだ。天声人語だからだ。

 そんな文学賞なら、そもそも初めから取るには値しないのだ。――

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