<第9回ジャパンカップ> オグリキャップ燃え尽きる

(話は前回から続く)

 かつてオグリキャップという、名馬がいた。というよりも、超人気馬だった。
 成績は参考リンクの通りである。

 1989年のジャパンカップの、成績は2着となっているが、1着の外国馬ホーリックスとは同タイムである。
 東京競馬場芝2400メートル、2分22秒2。それは従来のレコードを一気に2秒7も縮めた、驚異のタイムだった。
 まだ東京競馬場が、高速馬場に改修される以前のことなので、目を疑うような、ありえない記録だった。
 
 まるでマイル戦のような無茶なハイペースを、上記の2頭が、三番手で追いかけた。
 本来なら先行集団はつぶれて、最下位に沈むはずの展開だったが、2頭はそのまま先頭に立ってゴールした。
 3着以下を3馬身引き離した、圧倒的なパフォーマンスだった。

 別にオグリキャップにヨイショして、礼賛しているわけではない。
 これこそが典型的な「火事場の馬鹿力」であり、次走が心配された。
 その次走の有馬記念で、オグリキャップは一番人気となった。
 もともとも人気馬なのだが、ジャパンカップの衝撃の走りと、その結果が惜敗だった口惜しさが、ますます人気に拍車をかけたのだ。

 だが結果は、1着馬から0.8秒も離された5着だった。
 それまで3着以下に落ちたことのないオグリキャップにとって、それは惨敗以外の何物でもない。
 ファンは悲鳴を上げ、呆然と立ちすくんだが、何のことはない。オグリキャップは前走で燃え尽きていたのである。

     *

 オグリキャップのバーンアウトの原因は、JCの過酷なレースぶりばかりではない。
 その使い詰めのローテーションが、間違いなく競走馬生命を縮めてしまった。

 通常強い馬は、大事に使われる。
 けっして疲労が蓄積したりしないように、レースの数は絞られる。
 春のシーズンに3走、秋に3走。その間の夏は休養、というのが一般のパターンだ。
 だがオグリキャップは、そうではなかった。

 成績一覧表を、見てもらえばわかる。  
 たとえば1989年の秋は、6戦使われている。
 その前年、1988年の秋は、一見4戦だけに見える。だが10/9の毎日王冠の前に、
7/10に高松宮杯を使っているから、夏の休養がない。
 そう考えれば、実に1987年5月のデビュー以来、21連戦をこなしたと見ることもできるのだ。
 滅茶苦茶としか言いようがない、酷使ぶりなのだ。

 初めは馬主の強欲が、原因だったのかもしれない。せっかく現れたドル箱に、少しでもたくさん賞金を稼がせよう、と。
 だが途中からオグリキャップは、中央競馬の押しも押されもしない、スターホースとなってしまった。
 せっかくの競馬人気を、さらに盛り上げるためにも、少しでも多くオグリキャップに走ってほしい。という競馬会の、要望もあったのではないか。

 スターホースとなれば、負けるわけにはいかない。
 足慣らし程度、顔見せ程度の出場、というわけにはいかなくなった。
「火事場の馬鹿力」とはいかないまでも、毎回全力投球で、勝つことが要求された。
 そんなレースが延々と続いたら、潰れない方がおかしいだろう。

     *

 JCの激走の一回だけなら、時間をおけば、立ち直ることもできたろう。
 だが使い詰めの蓄積疲労は、いつか必ず破綻を招く。
 そして実際、6歳の秋、オグリキャップは完全に燃え尽きてしまった。

 秋初戦の天皇賞は6着。だがこれはまだ、救いがある。
 2戦目のジャパンカップは、15頭立ての11着だった。
 これはもう、不調とか、年齢的衰えとかでは説明できない。

 明らかに、燃え尽きていたのだ。
 もう無理だよ。疲れたよ、走りたくないよ。勘弁してくれよ。
 そんなオグリキャップの心の叫びが、今にも聞こえてきそうなレースだった。

 あれ、待てよ。
 それはその通りだけど、その直後の有馬記念で、オグリキャップは奇跡の復活を遂げたのではなかったの?
 有終の美を飾って、祝福されながら、引退したのではなかったの?
――もちろん、記録上はその通りである。だがこの最終戦の有馬記念が、いかにいわく付きのレースであったかは、次章で改めて述べるとしよう。

(話は次回に続く)

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