すいている電車で、ほかの座席もほとんどがら空きなのに、あえて人の隣に座りたがる――
そんな人を某朝日新聞系週刊誌は「トナラー」と称して、異常心理であるかのごとく分析していた。
何を隠そう私もそのトナラーだが、私がそうするのは純粋に公徳心からである。
例えば7人掛けの座席に定員の7人が座るには、間をつめて座るしかない。
なるほど今は電車はがら空きかもしれないが、次の駅、次の駅と乗客が乗り込んで、満員になった場合のことを想定できないのか?
7人掛けの座席なのに、たいていは5人くらい座っただけで、もう入り込む余地はなくなってしまう。
隣の人と間をあけて座るのはいいが、ぴったり一人分のスペースをあけるような器用なことはできない。たいていは1.5人分くらいの間隔を取ってしまうので、5人で満席となるのである(簡単な小学校の算数です)。
後から誰がが乗ってきたら、そのときに席をつめればいい?
だがしかし、たいていの人はてこでも動かないし、眠りこけている人だっているのだ。
そんな無神経な先客に向かって、「みなさん席を詰めていただけませんか」と要求できる、強心臓な人間はいるはずもない。だから結局は、我慢して立ち続けることになる。
そんなふうに考えて、私たちは当然のマナーとして、間をつめて座っているだけなのだ。
それを「トナラー」などと呼んで揶揄している連中は、社会道徳というものを知らない、手前勝手な人間なのか?
それとも電車ががら空きの、目の前の状況しか見ることができずに。数分先の未来や、あるかもしれない可能性を、想像できるだけの頭がないか?
たぶん後者だと思う(笑)。
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