カジノ誘致が無害なわけ 

 大阪やらなんやらで、IR(カジノを含む統合型リゾート)の誘致が問題になっている。
 こういうとき反対派が必ず持ち出すのが、「ギャンブル依存症の危険」だ。

 自分に言わせれば、ああいうやつらはギャンブルの何たるかが、まったくわかっていない。
 カジノができたからって、あらためて依存症になるやつなんて、まずいない。
 依存症になるようなやつは、もう最初から、とっくになっているのさ。

 世の中すでに、どんだけの数のギャンブルがあると思っているんだ? 競馬、競輪、パチンコ。
 そんな遊戯ばかりではない。株式投資だって、FXだって、考えてみれば不動産も会社経営も、やり方によってはどれもギャンブルだ。
 みんなそのうちのどれかに、すでにハマっている。
 あっちからこっちに、移って来るということはあったとしても、新しく中毒になるやつなんていやしないさ。

     *

 ギャンブル狂になるようなやつは、もともとそういう、素地のようなものを持っている。
 さすがに先天的とは言わないが、人生を生きていく過程で、ぬぐいがたい性癖のようなものが、もうすでにできあがっている。

 何かができたから中毒になるとか、そういう問題じゃないんだな。なんにもなくても、はじめから中毒なんだ。
 たとえ何にもなくても、何かを勝手に見つけてきては、博打を打たずにはいない。
 サイコロ一つあれば、トランプ一組あれば、ギャンブルはできる。それもなければ、じゃんけんだって、賭けようと思えば賭けられるじゃあないか。

 一方博打が嫌いな連中は、そもそも最初から、手を出しはしない。
 あいつらは逆に、いわば小市民的な安穏の中毒で、それを脅かしそうな何かは、本能的に忌避する性向がある。
 危険な匂いがするものには、それだけでビビッてしまって、けっして近づかない。
 カジノ建設に反対するようなやつは、たとえカジノができたって、まかりまちがっても通ったりはしないんだ。

 要するに博打というものは、やるやつは、どっちみちやる。
 やらないやつは、やらない。
 ダメ人間はずっとダメ人間で、聖人君子はそのまま聖人君子なんだ
 つまりは、IRができようが何しようが、大勢に影響はないってことさ。

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 IRができたら、そのぶんギャンブルの種類が増えて、ますます深みにはまりはしないか?
 そういうことは、不思議と起こらない。
 実はかく言う自分も、そっち系の人間だから、よーくわかる。
 ふつうのギャンブラーは、あれこれ違った項目に、手を出しはしない みんなそれぞれ、その時点での、「専門分野」を持っている。
 その道をきわめたい、という探求心がある。あなただけに帰依していますと、一途なところを見せておけば、きっといいことあるだろうという、おかしな信仰心もね。 

 それではカジノだけでなく、いっそあらゆるギャンブルを、一掃したら?
 それも相当むずかしい。
 サイコロ一つあれば、博打はできる。それは前述の通りだ。
 自分なんか若いころには、自慢じゃないが、賭けボーリングにはまっていた。青少年のための健全スポーツも、ギャンブル狂にかかったらかたなしさ。

 極端な厳罰化で、たとえ博打を根絶することができたとしても、けっしていいことはない。
 人間たるもの、何かしらに依存しなければ、生きてはいけない。
 この世からギャンブルが全部なくなったら、はけ口をなくした欲求は、「代わり」の依存を探すだろう。
 そのときにはもっとずっとおそろしい、何か他の悪徳が、はびこるだけさ。

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 オレたちが病みつきなのは、実はギャンブルそのものじゃあない。
 賭けの瞬間に放出される、脳内麻薬に中毒なんだ。博打が打てないのなら、よそで調達するだけの話さ。 

 それこそ本当に麻薬が打てれば、それに越したことはない。そうでなければ、思い切りいまわしい、犯罪行為に手をそめるだろう。

 世の中博打がなくなったら、代わりに強姦魔が増えるかもしれないよ。 
 まあ、オレなんかはもうそこそこの高齢者だから、「そっち」の方はさすが、心配ないだろうけど。

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 たぶんね(笑)

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