(話は前回から続く)
6歳の秋、オグリキャップは完全に燃え尽きていた。
秋初戦の天皇賞は6着。2戦目のジャパンカップは、15頭立ての11着だった。
もちろんその直後の有馬記念で、オグリキャップは「奇跡の復活」を遂げた。有終の美を飾って、祝福されながら引退した。
だがしかし、――
これから先は、いわゆる「陰謀論」である。眉に唾を付けて、聞いてもらってもかまわない。
だがすべての陰謀論が、嘘っぱちなわけではない。
本当に陰謀が行われているとき、それはまぎれもない真実の告発となる。
*
あのときの有馬記念(注)。
どう見たって、オグリキャップを勝たせるための「出来レース」だった。
まるで全馬が、止まっているように見えたスローペース。
普通なら前半のペースが遅ければ、ラストでは急にピッチが上がるものだが、それすらない。そのままスローのまま、ゴールしてしまった(笑)
勝ちタイムは、2分34秒2。
当日同じ中山競馬場、芝2500mで行われた下級条件(900万下)戦は、2分33秒6。
G1の中でも最高峰のレースが、駄馬どものレースよりも、はるかに遅い。
あまりにもお粗末、というよりも、不自然なレースだった。
何のことはない。燃え尽きたオグリキャップですら、走れるタイムにまでレースのレベルを落とした。そうしてみんなで、勝ちを譲ったのだ。
JRAの公表するレースビデオには、このシーンは残っていない。
だが自分は、確かに見た。
直線で某騎手が、行きたがる馬の手綱を引いて、必死に制止していた。
レースの序盤とか、中盤とかではない。ラスト2ハロンで、馬を抑えるなんて聞いたことがない。
要するに、勝たせるはずのオグリキャップを、自分の馬が抜いてしまいそうになったので、あわてて止めようとしていたわけだ。
*
オグリキャップは押すに押されぬ、スーパー人気馬だった。
惨敗が続いた最後のシーズンも、ファンは「奇跡の復活」を信じて、悲鳴まじりの声援を送っていた。
ファンあっての競馬だ。
あのころせっかく盛り上がってきた、競馬ブームに水を差すわけにはいかない。
だとしたら引退レースと決まったこの有馬記念で、オグリキャップを勝たせるのが、最高の演出だろう。
何しろ最後のレースなんだから、一回限りの八百長でいい。その先もどうやってごまかすか、なんて考えなくてもすむわけだ。
あとはすました顔で、とっととトンズラしてしまえばいい。
そんな中央競馬会(JRA)の、強い意向が支配していた。天の意志が感じられた。
そして万事が思い通り、うまく運んだわけだ。
そんなことは、競馬関係者ならみんなわかっている。それでも口が裂けても、認めるわけにはいけない。
競馬でメシを食っている連中には、触れるわけにはいかないタブーなのだ。
もちろん何の証拠もないわけだし、 巨人(JRA)に逆らっては、干されてしまう。たとえ聞かれたとしても、奥歯に物が挟まったような言い方しか、できないわけだ。
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あのときの、有馬記念だけではない。
あの時代には、そんなあやしいレースが、ときどき行われていた。
八百長という言葉は、的確ではない。誰かを儲けさせるために仕組んだ、というようなことではない。
ただ競馬を盛り上げて、ファンを増やすために。というよりもせっかく増えたファンが、離れていかないように、「過度の演出」が行われた。
「望ましい特定の馬」を、勝たせるための出来レースは、確かに存在したのだ。
たとえば第52回オークス。イソノルーブル(注)の優勝。
イソノルーブルといえば、前走の桜花賞で、一騒動を起こしていた。
発想地点で落鉄し、蹄鉄を着け直そうとしたが、馬がいやがってしまった。
本来は装着まで待つべきなのに、レースの進行を優先したJRAが、そのまま裸足で走らせてしまった。
その結果、一番人気だったイソノルーブルは、5着に惨敗。レース後に事件が発覚して、JRAは散々、ファンのブーイングを浴びたわけだ。
そんないきさつがあったから、次走のオークスでは埋め合わせのために、お詫びのために、どうしても「勝たせ」なくてはいけなかった。――
あるいはその逆に、「勝たせなかった」こともある。
第48回皐月賞。1番人気に推されていたモガミナイン(注)は、優勝確実と目されていたが、6着に敗れた。
実力で負けたのではない。2頭の馬(ともにレース後に失格処分)に強引に進路をふさがれ、ぶつけられて、まともなレースをさせてもらえなかったのだ。
ここでは「モガミナインにだけは勝たせない」という、JRAの強い意向が感じられた。
裏事情はこうだ。
モガミナインの実質的なオーナーは、早坂太吉。「地上げの帝王」と呼ばれた、いわくつきの、というより悪名高い男だった。
バブル景気に便乗して、あくどい手口で巨万の富を築いた。
暴力団がらみの事件もあり、脱税で有罪判決も受けていた。
そんないかがわしい人物に、まさか歴史ある格調高きクラシックのレースを、絶対に勝たせるわけにはいかない。
と、そう判断されたわけだ。
もっと可愛げのある、ケースもあった。
「1月11日 第1回中山1日目」の開催では、やたらと1枠の馬が勝った。
七夕や母の日の場合は、7-7や8-8が出る。そこまでは行かなくても、思わせぶりにゾロ目が来ることが多かった。
競馬のファンの中には、真面目にレース予想をするなんて面倒くさい。「出目」と験担ぎだけで、馬券を買う者も多い。そんな彼らでも、たまにはちゃんと的中するように、サービスをしているわけだ。
案の定しろうとのファンは、そんな「偶然」を大いによろこんだ。その後も相変わらずの、出目競馬を続ける、大きな励みとなったのだ。
もっともこういうケースでは、レースそのものを、いじっているわけではない。
JRAが勝つであろうと予測する馬を、しかるべき枠に入れる、枠順操作にすぎない。
なんだか麻雀の「積み込み」みたいだが、こちらの方はあながち、不正とまでは言えないだろう。
*
否。実は競馬会ばかりではない。
あのころは、日本の社会全体が、そんな胡散臭さで満ち溢れていた。
わいろ、裏金、裏帳簿。
癒着、談合。インサイダー取引、粉飾決算。
接待交際、キックバック。
忖度と、なあなあと、根まわしで。何となく適当に、回していくのが日本式の運営だった。
競馬サークルもまた、そんな時代の空気に、どっぷりつかっていた。馴染んでいた、ということにすぎない。誰も本気で、目くじらなんか立てなかったのだ。
だがそんな時代も、いつまでも続きはしなかった。
グローバル化の波がわが国にも訪れて、昔ながらの村社会の方式は、通用しなくなった。
なぜか正義にだけはうるさい、西洋式が持ち込まれて、コンプライアンスが叫ばれた。
不正は厳しく、糾弾される。
競馬もまた、同じだった。すっかり国際化したのだ。
日本の馬が外国に出かけて、レースをするだけではない。
国内市場も解放されて、わが国のG1レースの多くに、外国馬が参加するようになった。
そうなれば、もう出来レースなんてありえない。
単に日本の恥、というばかりではない。現に外国勢が当事者として参加しているわけだから、そんなことをしたら訴訟沙汰どころか、国際問題にもなりかねない。
胡散臭いレース運びも、微笑ましい演出も。もうこの20年来、すっかり見られなくなった。
かくして第35回有馬記念、あのオグリキャップの姿もまた。
過去の歴史の汚点というよりも、むしろなつかしい、セピア色の写真の中の風景として。
私たちの思い出の中にだけ、永遠に残り続けることとなったのだ。――
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