昔まだ、コロナ禍と言われていたころ。
けっこうな人込みで、ちょっとヤンキー風のニイさんが、急にマスクを外してクシャミをした。
見かねた一人が注意をした。「マスクを外すなよ」
言われたオアニイさんは、「はあ?」と、目いっぱいの馬鹿面をして食って掛かった。
「はあ? マスクしたままくしゃみしたら、マスクが汚れるだろ」
得体の知れない理屈を前にして、相手は言葉を失った。
てっきり敵をやりこめたと勘違いして、オアニイさんはさらに嵩にかかった。
「そんなことも、わかんねえのかよ。馬鹿かよ?」「それともオメエが、マスク買ってくれんのかよ?あア? 買ってくれんのかよ?」
周囲がただただ、絶句したのは言うまでもない。
*
同じく昔、ヘルメットをかぶった小太りのオバちゃんが、何と原付で歩道を走っていた。
「ちゃんと車道走れよ」
後ろから注意されたオバちゃんは、原付を停めて振り返った。
さも心外だと言わんばかりに、口をとんがらかしてふくれ面を作り、
「車道なんか走ったら危ないでしょ」
これもまた、あなた馬鹿ですか? と言わんばかりの剣幕で、やり返したのだ。
*
こんなふうに、頭の悪い人間も頭が悪いなりに、みんなそれぞれの理屈で生きている。
そんな彼らを説き伏せるのは、なかなかに難事である。というよりも、ほとんど不可能に近い。
論破が成り立つのは、互いが論理という、同じの土俵の上に立っているからである。
その土俵からいったん外れてしまっては、もはや悟性のルールは通用しなくなる。
負けを認めないというよりは、ルールを知らないから、負けを認識できないのだ。それはちょうど、王手をかけられても、ひたら攻め続けるへぼ将棋のように。
相手はもちろん呆れかえる。絶句して、さじを投げる。
またその姿を見て、自分が勝ったと思い込む。こうなったらもう、向かうところ敵なしだ。
言葉巧みに何かをせしめようという、詐欺師とは違う。
詐欺師なら、それ相応の知性があれば論破できる。だがしかし、手前勝手なとんちんかんを、ただただ健やかに信じ切っている連中は、まったくもって始末に負えない。
*
ある女子大生の妹が、二つ上の兄から関係を迫られた。近親相姦である。
必死に抵抗しながら、妹が言った。
「子供ができたらどうするのよ?」
他にふさわしい、拒絶のセリフが思いつかなかったのか。それとも本当に、行為そのものよりも、妊娠の方が心配だったのか。
いずれにしても、兄はすかさず言い返した。
「兄妹で、子供ができるわけないだろ」
虚を突かれた妹は、うっ、と言葉を呑んだ。それを見た兄は、さらに畳み掛けた。
「できるわけないだろ。それとも、兄妹で子供できたの、見たことあんのかよ? 世の中に、そんなヤツいるのかよ?」
血は争えないもので、妹の方もそんな兄の論法に、すっかり言い負かされてしまった。
ああそうか、なるほど、とすっかり納得して、そのまま体を開いたという。――
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