<京アニ事件>被告の小説は本当にパクられていた 

「京アニ事件」の裁判が進行中である。(注) 
 動機らしきものも、解明されつつある。

 京アニ主催の新人賞に、「京都アニメーション大賞」がある。被告はここに、渾身の小説二作品を応募したが、あえなく落選とされた。
 のみならずその後、自作のアイディアが京アニの他作品に盗用された――「パクられた」と思い込んだ。
 そんないきさつがあって、会社への恨みを募らせたのだ。

 被告は過去にすでに、精神疾患の診断を受け、障害者手帳の交付も受けている。
 どうせ統合失調症にありがちな、被害妄想だろう、と考えるのは容易である。
 確かに実際、そうであるのにちがいない。

 たがしかし、そんなことは――コンクールの主催者が、応募者のアイデアを「パクる」ようなとこは、絶対この世に起こりえない荒唐無稽の妄誕だ?
 もしもそう信じ込んでいるとしたら、あまりにも世の中の裏というものに、無知すぎると言わざるをえない。

     *

 情報源はあくまで秘匿しなければならないが、ある放送関係者から、自分が聞いた話である。

 放送脚本の、新人賞のようなものは各種、数多く実施されている。
 シナリオライターの登竜門として、無数の応募作品が送られてくる。

 そこでは落選者のアイデアを借用することが、ごく当たり前に行われている。
 むしろコンクールなるものは、そんなパクりの目的ために創設された、ダミーにすぎない。
 実態は、ひたすらアイディアの収奪装置として、機能しているのだという。

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 考えてもみてほしい。
 毎日各局で放送される、テレビドラマ。
 作品の数だけではない。毎週連続放送だとすれば、各回ごとのエピソードが必要となる。
 それぞれに、いくつもの小ネタもはさむ。気の利いたセリフも、吐かせなければならない。
 そのためのアイデアなんて、いくつあっても足りはしないのだ。

 もちろんプロの作家に、台本は依頼している。
 だがライター一人の手だけで、すべての需要を埋めることはできない。文字通り、猫の手も借りたい状態なのだ。

 その点新人コンクールの応募作は、宝の山である。
 もちろん落選作なんて、箸にも棒にも掛からない。だがそれはあくまで、トータルとしての話である。
 作品全体としては取るにたらない駄作でも、細部に一つ二つは、必ず光るものがある。
 ちょっとした小ネタや、気の利いたセリフ――それがどんな些細な長所でも、何千作分も寄せ集まれば、たちまち着想の宝庫となる。

 加えて応募者たちは、多種多様な人生を歩む、個性の持ち主だ。
 彼らが提供してくれる斬新な視点は――思わぬ切り口は、プロのライターたちにとっても、大いに「参考になる」。
 たとえ彼ら自身の口では、それをけっして「パクる」とは呼ばないとしても。

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 もちろん新人賞の当選作には、多額の賞金が授与される。作家には、デビューが約束される。
 では落選作は、ただそのまま没になるかというと、そうでもない。
 死屍累々の失敗作も、今後のドラマの「資料」にはなる。落ち葉でさえ「飼料」として与えながら、無数の新作を育て上げていく仕組みなのだ。  

 新人賞の応募要項の中には、必ず「応募作品の著作権は当社に帰属する」の、一文が含まれている。
「当選作品」ではない。すべての「応募作品」だ。
 つまりは落選作をパクることがありますが、法律上は何の文句も言えませんよ、と暗に予防線を張っているわけだ。

 もちろん道義的には、そんなことは許されることではない。
 だが騒ぎにならない程度に加減して、――痕跡が残らないように加工するくらい、プロならお手の物のはずだ。
 実際そのような形で、盗用は日常茶飯事に起こっているのだ。

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 もちろん自分が聞いたのは、あくまでテレビドラマの制作の話だ。
 だがアニメは別物だ、と断ずる特段の理由はない。

 京アニの公募だけは例外だ、と決めつけるのは理にかなわない。
 例の被告の小説も、実際にパクられていたのかもしれない。
 いや、個人的な直感で言えば、きっとパクられていたのだと思う。
 そして誰も気づかないはずの、わずかな剽窃でも。盗まれた当の応募者だけは――被告だけは、もちろんそこに自分自身の匂いを敏感に感じ取り、察知することができた。――

 だがしかし、それがどうした? たとえ小説が本当に盗まれていたとしても、あれだけの犯罪を正当化する理由にはならないだろう。――もちろん、それはその通りである。
 勘違いしないでほしい。
 自分は別に、被告を免責しようとしているわけではない。むしろその逆である。

     *

 考えてみたまえ。
 今のままでは、被告は責任能力なしで、間違いなく無罪になる。
 被告は過去にすでに、精神疾患の診断を受け、障害者手帳の交付も受けている。――いわば裁判官を「ははー」とひれ伏させる、水戸黄門の印籠を持っているわけだ。
 そのうえパクりという、荒唐無稽な被害妄想があったとなれば、ますます統合失調症の事実が補強されてしまう。

 だがもし「パクり」が、事実だとすれば。
 必ずしも、キチガイの被害妄想でないとすれば。
 被告は事実を正しく認識し、彼なりのやり方で反撃した、――つまりは責任能力があった、とも見なすこともできる。
 
 つまりは自分は、まさか被告をかばうために、投稿をしたわけではない。
 むしろこの野郎を、何とかちゃんと縛り首にするための、一助になりはしないかと考えて。
 微力ながら、今回の指摘をしてみた次第である。―― 

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