自分が若気の至りでタバコを吸い始めたころ、成人男子の喫煙率は8割近かった。
現在は3割程度らしいから、時代の変遷がよくわかる。
吸うのが当たり前だから、むしろタバコを吸わないことの方に、特別な理由が必要だった。
自分はぜんそく持ちで、肺が弱いとか。スポーツをやっているので、持久力を落としたくないとか。
何か言い訳をしないと、変人と見なされてしまったのである。
そんな状態だから、何事も背伸びしたがる高校生が、まねをしてタバコに手を伸ばしたとしても、何の不思議もなかったわけだ。
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当時の紙巻きたばこのスタンダードは、「セブンスター」であった。
1975年の大幅値上げ(150円)の直前だったので、まだ一箱100円で買うことができた。
それでも小遣い銭が足りないときには、味は辛いがちょっと安い「ハイライト」(80円)に変えてみたりした。
だがその当時、半分の値段の50円で、売られていた銘柄があった。
それが「エコー」である。
吸ったことはないので味は知らないが、値段から推して知るべしである。
あまりにもダサすぎる、パッケージのデザインも相まって、到底手を出す気にはなれなかった。
あれは乞食の吸うタバコだ、と半ば本気で信じていた。
「シケモク」よりはほんの少しだけ上等な、拾い集めた小銭で買うような、しろものだったのだ。
もっとも「ゴールデンバット」は、何と40円であつた。そこは人間の社会と変わらない。ちゃんと下には下がいたのである(笑)
何しろ元々のきっかけは、高校生がカッコつけたくて、タバコを吸い始めたわけだ。
だとしたら、そんなカッコ悪い銘柄なんて、死んだって吸えるわけがない。
どうしても金欠なときには、友だちに貰いタバコをしてしのいだものだ。
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そのうち健康志向と、嫌煙運動の時代が始まった。
しばらくはヘビースモーカーをしていた自分もまた、三十の声を聞かないうちに、タバコと縁を切った。
それからも新聞か何かで、タバコ値上げの記事を見ることはあった。だがしょせんは他人事だから、ほとんど気にもとめなかった。
ところがそれから30年(笑)、あるとき新宿の駅のホームで、当時はまだ撤去前だったタバコの自販機にふと気が付いた。
何気なく目をやると、居並ぶ銘柄の中になつかしい姿があった。「エコー」である。
ほんの少しおしゃれになってはいても、相変わらずのデザインだ。
だが次の瞬間、自分の目はその値段に釘付けになった。
500円。
初めて会ったころには50円であったはずの数字が、その10倍に跳ね上がっていたのだ。
自分の懐具合では、そんな嗜好品には到底手が届かない。
かつては恥ずかしくてとても買えなかった安物が、今では手が出せない理由が、逆転していたのだ。
自分は思わず。心の中で語り掛けた。
「おめーもずいぶんと、出世したもんだな。昔は乞食だったじゃあねえか(笑)」
いわば古い知人が、今ではすっかり納まりかえっているのを見て。うだつが上がらなかった昔の有様を、ただ一人知る自分だけが、ひそかに失笑していたわけだ。
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だが「笑」は、やがて「泣」に変わった。
それはそうだろう。
かつては乞食のタバコと見下していたものが、今では雲の上の存在になっている。
この現象の解釈には、二様があった。もちろん一つは、相手の方の出世である。
だが生来論理にさとい自分は、すぐにもう一つの可能性に気が付いた。
もしそうして両者の、相対的な位置関係が変わったとすれば。変わったのは相手ではなく、自分の方なのかもしれない。
相手が出世したのではない。逆にこの自分の方が、身を落としていたのだ。
そうだった。
「物価上昇率2%」なんて標語もあるように、物の値段は年々上がっていく。数十年という単位になれば、びっくりするような数字を目にすることだってあるだろう。
それでも物価と同時に、自分の収入も同じように上がっていれば、見た目の状況は何も変わらない。
それがごく、通常のあり方だった。
ただ自分だけが落ちぶれたとき――社会全体の中での位置付けが、ずるずると下がっていったとき。初めて苦境に陥ったと、感じられるのだ。
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自分に起きたことは、きっとそういうことだった。
もちろん500円という数字には、タバコ特有の要因もある。「エコー」という銘柄の、特殊な事情もある。それはこのサイトに詳しい。
だが自分の没落もまた、まぎれもない事実だった。
ヘビースモーカーだった時代の自分は。初めは少なくとも中流階級の子弟であり、後にはあくまで比較的にではあるが、高収入を得られる職種にいた。
だが三十歳を回ったあたりで、つまりは偶然にも禁煙を敢行した直後あたりから。
詳しい事情は言えないが、ちょっとばかり人生を踏み違えて、ワーキングプアに身を落とした。
その後も奇跡の復活を、遂げることはなかった。
けっして女がきらいなわけでもないのに(笑)結婚もできない。
当然のことながら、子孫を残すこともかなわない負け犬となって、こうして老境を迎えようとしているわけだ。
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あのとき、駅の自販機の前で。エコーという名のかつての乞食のタバコが、高嶺の花となったことを自分はいぶかった。
だがそれが、あれほどまばゆく見えたのも、むべなるかな。
何のことはない。本当は今では自分の方が、すっかり乞食以下の身分に、なり下がっていたのだ。――
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