新機種の不都合は、他にもたくさんあった。
たとえば一つ前の、画面に戻りたいとき。
以前なら画面の下部にある、「戻るボタン」に触れればよかった。ついでにその横には、タスク一覧を表示できるボタンもあった。
だが新機種では、このボタンが見当たらない。どうやら画面を左右にスワイプすると、前の画面に帰ることができる。斜めにスワイプすると、タスクの一覧を見ることができるらしいのだ。
一体これが、進歩なのか? ボタンに触れるより、スワイプする方がすぐれているのか?
そこに何か、合理的な根拠でもあるのか?
そんなことが、あろうはずもない。すべてはただの、新し物好きだ。
昔ながらのやり方をやめさえすれば、何だかおしゃれに見える、とでも思い込んでいるのだ。
ちなみにここでも、ボタンを復活させる方法が、ひそかに隠してあった。
1.「設定」を開いて、「システム」を選択する。「操作」から、「システムナビゲーション」に移動する。
2.「操作」から、「システムナビゲーション」に移動する。
3.ここで「ボタンナビゲーション」を、有効にする。
一応、老人たちの参考のために。
*
話はスマホだけにとどまらない。
ウィンドウズ11になるとかで、PCの方も買い換えた。
すると今度は、やたらとアイコンばかりが目立つのだ。
たとえば、コピペをしようとするとき。
以前ならマウスを右クリックすれば、操作の一覧が文字で表示された。ところが新しいPCでは文字が消え、代わりにアイコンが、ずらりと並んでいるのだ。
ハサミの絵柄だけは、すぐにわかる。これは切り取りの操作を表すのだろう。だが残りはどれが何だか、さっぱりわからない。
マウスのカーソルを持っていくと、文字で説明が浮かび上がるのだが、それでは完全に二度手間だろう。
文字の表記は、もはやダサい。 アイコンを使った「直観的な操作」の方が現代的で、スマートだとでも言わんばかりだ。
とんでもない、言いがかりである。
人類は3千年前に、文字を発明した。その後の文明の進歩の、すべてはそこに始まるのだ。
文字こそがもっとも新しく、おしゃれなツールなのである。洞窟の壁画なんて、毛むくじゃらの原始人が描き残した、落書きでしかない。
北京原人のパソコンかよ、と思わず突っ込みたくなる。
(注:今のは全部、言葉のはずみです。
正確には「原人」には、たぶん体毛はなく、壁画も残していません。
いい加減なことを、言うのはやめましょう。)
*
ついでに言うなら、タスクバーの右下に現れた、お天気表示は一体何なんだ?
「調布市の現在の天気は晴れです」だと?
そんなこと、窓の外を見りゃわかるだろ。
明日の天気や、目的地の天気ならいざ知らず。今の現地の天気を知らされて、一体何の得があるんだ?
この分だと、きっと天気だけにはとどまらない。いずれは、
「あなたの名前は、鬼沢哲朗です」
とか、
「あなたは60才です。男性です」
とか、いらぬことを教えだすウィジェットも、出てくるのにちがいない。――
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