究極の自殺抑止策――宝くじは何のために

 自殺をしない/させないための、 究極の予防策がある。
 たえず宝くじを、買い続けることだ。買い与えることだ。

 最低単位でいい。たとえば1枚だけ、100円でもいい。
 そのかわりあいだをあけずに、切れ目なく買い続けて、いつでも抽選待ちになるような、状態を作っておくことだ。

     *

 たとえばあるとき、どうしても死にたくなったとする。首くくりのために、ロープに手が掛かったとする。
 そのときにふと、宝くじのことを思い出すのだ。
 待てよ、確か明後日が抽選日の宝くじが、1枚あったっけ。
 もしあれが、当たっていたらどうしよう?

 1億円が当たっていたら、たいていの人生の問題は解決する。
 それどころか、自分が自殺した後に、1億円が当たっていましたということになったら、目も当てられない。
 そんなお金があれば、あんなことも、こんなこともできるのに。その前に自分で死んでしまったというんじゃあ、死んでも死にきれない。とっても成仏できない。

 自分の気持ちだけじゃあない。あいつ一億円が当たるのも知らずに、さっさと首くくっちまったぜ、と世間の物笑いになるのは必定なのだ。
 ネットニュースにでもされて、末代まで恥を晒しかねない。
 もし相続人でもいれば、そいつはきっとホクホク顔だろう。――
 そんな考えが頭をよぎったら、誰もが思いとどまる。
 ロープに伸ばした手も、思わずひっこむ。
 かくして今日もまた一件、自殺が抑止されたのだ。

    * 

 この見事なまでの自殺対策も、実は私の発案ではない。
 為政者たちはもうとっくの昔に、そのことがわかっていたのだ。
 遠い古代ローマの時代から、世界中の国々で宝くじが売られていたのは、それゆえなのだ。

 それはそうだろう。王侯貴族であれ何であれ、およそ上級国民たるもの、領民に自殺されてしまってはかなわない。
 そんなことになっては、もう年貢が、ふんだくれなくなってしまうからね。
 ん? 最近では年貢と言わずに、税金と言うんだっけ? まあ、おんなじことだ。

 下々しもじもに贅沢をさせたら、自分の取り分が減ってしまう。だからといって死なれてしまっては、元も子もない。
 生かさず殺さず、って言うだろう。食うや食わずの状態で、いかに永遠に搾り取るか。それが統治者の知恵、腕の見せ所なのだ。
 だとしたら、紙切れ一枚のいじましい夢を、与えておけばいい。そうすれば愚民たちは、そのただ一縷の希望にすがって、不平一つ言わずに、今日もまた牛馬のように働き続けてくれる。――

 きっとそのためにこそ、宝くじという、このすてきなシステムが創案されたのだ。 

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 たぶんね(笑)

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