裏ビデオのジレンマ  

 お若い方はよもやご存じあるまい。

 かつての記録媒体に、ビデオテープなるものがあった。
 DVDでもCDでもない。弁当箱のような大きさのプラスチックの箱の中に、巻き尺みたいな磁気テープが納めてあって、そこに映像を焼き付けていたのだ。
 まあ遠い昔の、原始時代の話だ(笑)

 一方そのころ、陰部の映った映像を流布することは、違法であった。
 まあ今でも違法なのだが、当時はまだインターネットのない時代で、摘発を回避する手立てがなかったのだ。
 その手の映像を入手するためには、裏ルートによるしかなかった。
 たいていは、通信販売かな。あるいは、繁華街の裏路地あたりの、照明の暗いあやしげな店舗を訪れた。
 当然のことながら、目の玉の飛び出るような金額をふんだくられた。

 そんな「裏」で取引された、無修正の「ビデオ」のことを「裏ビデオ」と呼んだわけだ。

     *

 合法ではない商売なので、派手に売りさばくことはできない。高性能の機器を使って、大量に製造するなんてこともできない。
 裏社会の小規模の犯罪集団が、それこそ家庭用みたいな、しょぼい機材で撮影をする。
 そうして作ったマスターテープを、これもまた家庭用の機器で、百本くらいコピー(ダビング)する。それを一部の好事家に、高額で売りつけるのだ。 

 ところがコピーを入手した、マニアの一人が商売っ気を出す。これを元にして、一儲けしようとたくらむ。自分のコピーをまた百本くらいダビングして、孫コピーを作って販売するのだ。
 ころがその孫コピーを入手したヤツが、またまた一儲けをたくらんで、百本くらいダビングする、――という具合に、ネズミ算的に数が増えていって、流通するわけだ。

 そこで一つ、忘れてはいけないことがある。このビデオテープなるものは、まだデジタルの時代が到来する前の、アナログ(注)の産物である。
 ということは再生すればするほど、コピーをすればするほど、画質が劣化していく。
 マスターテープからコピーへ。コピーから孫コピーへ。そしてさらに何世代も複製を重ねていくにつれて、画面が粗くなり、最後にはほとんど見るに堪えない状態となる。

     *  

 マスターテープからコピーへ。コピーから孫コピーへ。そしてさらに何世代も複製を重ねる。――
 ネズミ算だから、数はどんどん増えていく。それにつれて、価格も当然下がっていく。
 そのようにして、ようやく末端の、僕らの手に入るころには(笑)。ぼろぼろの画質の、なれの果てのような作品が届けられる。

「お兄さん、いいビデオがおまっせ、無修正でっせ」
と、なぜか関西弁の(笑)売人の甘言に誘われて、一万円で商品を購入する。
 いそいそと帰宅して、デッキで再生する。
 最悪の画質だ。ちらついたり。歪んだり。ぼやけたり。まるで「篠突く雨」のような、得体の知れないスラッシュが走る。……

 なるほど無修正だ。ボカシもモザイクも入ってはいない。だけど画質が悪すぎて、結局何にも見えないじゃあないか。
 劣化した画面のちらつきには、モザイクとまったく同じ、隠ぺいの効果があるのだ。
 無修正の謳い文句に偽りはないから、文句をつけるわけにもいかない。
 なんとか一万円の元を取ろうと、「篠突く雨」の中をかきわけて、ご本尊の姿を拝もうとする。目を血走らせて必死に凝視するから、視力の低下はおろか、失明の危険さえあったという(笑)
 見えてもいないものを、無理やり目に浮かべようとするので、想像力の鍛錬にはなったらしい(笑)

     *

 なるほど無修正だ。ボカシもモザイクも入ってはいない。だけど画質が悪すぎて、結局何にも見えはしない。――

 そんな世にも歯がゆい板挟みのことを、ある知人は「裏ビデオのジレンマ」と名付けた。
 何やら意味深な、哲学的な響きがある。

 人間世界の諸現象に当てはまりそうな、どこか深遠な教訓なので、ここにあえてしたためてみた次第である。――

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