日本株の上昇が止まらない。
日経平均は3月の2万7000円から、バブル後最高値もあっさり更新して、3か月で3万3300円まで駆け上がった。
3万円以上などまさか見ていなかった評論家たちは、例によって赤っ恥を掻いたわけだが、今度は手のひらを返したように、バブル期の高値(3万8900円)が狙えるとか言い出している。
要因はいくつも挙げられるが、4月にあったウォーレン・バフェット氏の「日本株買い」発言が、引き金になったのは間違えない。(注)
バフェット氏は「投資の神様」と呼ばれ、投資家としては世界一の大富豪である。(実業家を含めた全体で世界第5位)
これまでも数々の予言を的中させ、だからこそ神様と呼ばれているわけだから、多くの投資家がそれ! とばかりに、日本株を追随買いしたのも不思議ではない。
だがもちろん、これまで的中していたからと言って、これからも的中するとはかぎらない。これからもずっと、神様であり続けるわけではない。
気になるのは神様の年齢だ。あと2か月で、93歳の誕生日を迎える。
人間の脳細胞の数は25歳ころがピーク(100億くらい)で、そこから毎日10万個ほどの細胞が失われていく。計算問題を解くと、氏の場合は若き日の細胞の四分の一は、すでに死滅していることになる。
そのせいもあって、95歳の男性の半数は、認知症を発症するという。
認知症の兆候が見られると、噂がしきりのバイデン大統領でさえ、まだ80歳にすぎない。(注)
バフェット氏だってそろそろ、判断力の低下が危惧されてもおかしくないはずだ。
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自分に言わせれば、日本株なんか買いだしたこと自体が、認知症の兆候だと思う。
日本株も、日本経済も、日本という国家も。どうみても、もうとっくに「オワコン」だろう。
自分だけではあるまい。外側から眺めているアメリカ人はいざ知らず、日本社会の真っただ中で暮らしている人間なら、みんな今の株高には違和感を感じるはずだ。
何もかもが、バブルのころとは似ても似つかない。
好景気に浮かれているやつなんて、一人もいない。誰もが背中を丸めて、打ちひしがれて暮らしている。
将来日本がいい国になるなんて、おめでたい予感はどこにもない。ただ漠然とした閉塞感と、不安が辺りを覆っている。
出生率は最低だがら、労働者も消費者もやがていなくなる。そんな社会に繁栄なんて、あるはずもない。
決められたことを、ただ器用に繰り返すだけの国民性に、国際レベルのイノベーションなんて到底望めない。――
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国の借金は1000兆円を超え、GDP比で257%。2位のアメリカ(130%)以下の2倍近い。断トツというよりは、目のくらむような数字なのである。
株価維持のために日銀がETFを買い続け、ついには市場の8割は日銀の所有となった。
こんな異常な政策を取る国は、もちろん他にあるはずもない。
金利を下げたいがために、日銀が国債を買い続けて、その保有額は国債発行残高の54%。
政府の発行する国債を中央銀行が引き受ける。これを財政ファイナンスと言って、国際的にも国内的(財政法第5条)にも禁じ手とされる。
日銀が今やっていることは、まさにこの財政ファイナンスなのだが、当の日銀は何やかやと屁理屈をつけて、そうではないと強弁して押し切っている。
こういう無茶苦茶な政策が、正当であるのか、持続可能であるのか。
もちろんそんなはずはないのだが、その辺りの議論は学者たちに任せよう。
自分に言わせれば、問題は政策の是非ではない。そんな八百長のような政策を何十年と続けながら、それにもかかわらず、日本経済がこの体たらくであること――そちらの方が、何よりも深刻な問題なのだ。
借金をして豪遊している、というのならまだわかる。
たが現実はそうではない。目の玉の飛び出るような借金を重ねながら、せいぜい国民は中の下の生活に甘んじている。
露骨な株価対策を延々続けた挙句が、バフェット氏の登場までの日経平均は、2万8000円が定位置だったのだ。
もし借金をしなかったら、もし八百長がなかったら――つまりはすべての虚飾を剥ぎ取った日本経済の、真の実力はいかなるものか。
想像しただけでも、寒気がしてくるではないか。
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そんなもはや「オワッタ」はずの国の株価が、バブル期の最高値を超えようとしている――そんな夢物語には、どうしても眉に唾を付けずにはいられない。
もちろん「神様」を信じるのは構わない。
これまでもお告げの通り上がったのだから、これからもそうなるだろうと、虎の子をつぎ込むのも自己責任だ。
しかし神様も、もうすぐ93歳だ。
本物の神様でないかぎり、いずれは引退することになる。引導を渡されることもあるかもしれない。
打撃の神様のイチローだって、キャリアの最後には、2割の打率を残すのがやっとだった。
バフェット氏の託宣だって、そろそろ疑われてもいい年齢だろう。
たとえバフェット氏が、バイデンがきっとそうだと言われているような、認知症ではないにしてもね。――
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