娘の自慰を世間に晒す(2)

(話は前回から続く)
 自ら命を絶った娘の、その存在を、なかったことにしたくはない。
 その生きた証しを、せめて作品として後に残したい、と考えて父親は日記を出版した。――

     *

 そんな父親の発想は、自分にはよくわかる。
 自分もまた文学やら哲学やらに、かかずらわって生きてきた人間である。日記の中に聞かれた、実存の叫びのようなものに、まったく関心がないわけではない。
 だが同時に、ふと疑問に思わずにはいない。本人自身の意向は、一体どうなるのだろう? 天国にいる高野悦子がこのことを知ったとして、彼女ははたして日記の出版を、喜んでくれるだろうか?

 かつてアンネ・フランクの父親は、亡き娘の遺稿を『アンネの日記』としてまとめあげた。
 だがそのアンネの場合は、ひそかに将来、作家となることを志す少女でもあった。
 将来の発表を夢見て、その日記にも自ら推敲の手を加えていたくらいだから、こうして「作品」が日の目を見たことを歓迎できたかもわからない。
 いわば父親は、娘の「遺志を継いだ」わけだ。

 たが高野悦子の場合には、そんな気配はいささかも感じられない。
 アンネが日記を「キティー」と呼んだように、彼女もまた日記に「ジュディー」と名を付けて、友人のように語り掛けた。
 だがそれはけっして、文学的な仮構のようなものではない。本当に誰にも言えない心の秘密を、そんな唯一の心の友だけ、ひそかに打ち明けていたのだ。
 だとしたらそんな秘密の打ち明け話の、しかもその逐一を、本人の許可もなしに勝手に世間の目にさらしたこと――そんな仕打ちは、はたして公正と言えたのだろうか?

     *

 その逐一を。――

 日記の中には、ときおり自慰についての記述が登場する。

ジュディー(日記の名前)、あなたには私のすべてを告白します。私は自慰をします。そういうことは男女が自然のなりゆきでするのが自然の姿だと思っています。しかしその快感に負けてしまうのです。私はこういうことを平気でいってしまうんですから、異常なのかもしれません。でもジュディー、私はゆうわくに負け、しないように、と思います。私はこれらのことについても、正しい知識を持って正しくして行きたいんです。(中学3年)

寺山修司の『街に戦場あり』を読みながら自慰にふけったりした。刺激物をよむと興奮してやりたくなるのだが、そのあとは罪悪感を感じるだけだ。(大学2年)

という具合である。

 性のタブーがほとんど消えかけた現在でさえ、女性の自慰は秘中の秘である。
 よほどぶっ飛んだ連中以外は、公言する者はない。なぜかそのことだけは、みんなが口をつぐんでいる。
 あるいは誰もがしていることは認めながら、どういうわけか自分だけはそんなことはしていない、とばかりに空とぼけるのが普通の反応なのだ(笑)

 ましてや日記の執筆当時は、はるかに古風な時代だった。そんなことをするのは男性だけだと、真顔で信じられていたくらいだ。
 悩みを打ち明けるなどということは、ありえなかった。むしろ誰にも言えないことだからこそ、そうして「ジュディ-」に思いをぶつけていたのだ。

     *

 もちろんそんな性の問題も全部ひっくるめて、娘という存在があったのだ。そのありのままの姿を、そっくりそのまま残したいと考えたのは、無理からぬことだ。
 青春に共通の悩みと捉えられて、すべては割愛することなく収録された。そしてそのことは、文学の作品としての日記の価値を、大いに高めたにちがいない。

 だがしかし、そんな父親の考えは、やはりあまりにも純粋すぎた。
 高野悦子の日記は必ずしも文学として、いわば実存的関心だけから、手に取られたというわけではない。
 若い娘たちの生活の内実を盗み見たいという、卑猥な「覗き」趣味のようなものが、そこになかったとは言えない。

 とりわけ当時はタブーだった、女子の自慰の写実は、あまりにも刺激的であった。
 著者プロフィールの顔写真と見比べながら。こんな普通のかわいい娘がそんなことを、という発見に、ひたすら興奮していた不謹慎な連中も、いなかったとは言い切れない。
 そんな可能性に、少しでも思い至る想像力があれば、誰もが収録を見送っただろう。
 少なくとももし当人が生きていれば、顔から火が噴くだけで、けっして公表を承諾することはなかったにちがいない。

     *

 それではどう見ても、成仏なんかできはしない。

 誰かタイムマシンに乗って、高野悦子に教えてあげてくれ。
 あなたの死後に、あなたの日記のすべてが世間に晒されて、エロおやじたちの「おかず」にされますよと。

 そのとたん、今しも貨物列車に飛び込もうとした足が、ぴたりと止まる。
 もはや何も、迷うことはない。
 そんなおぞましい自死の結末よりは、彼女にとってあれほど堪えがたかった「生」の方に、とっとと踵を返したにちがいないのだ。――

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