たとえ家族・恋人であったとしても、他人のスマホを覗き見てはいけない。
もしろんそれが、現代社会のマナーだ。
それをそっくりそのまま、過去の時代に当てはめてみよう。
「他人宛ての手紙を勝手に開封してはいけない」「日記を盗み読みしてはいけない」――同じルールは、きっとそんなふうに翻訳されるだろう。
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ところがこれが歴史の偉人や、いにしえの文豪たちの場合となると、一体どうだろう?
彼らの手紙や日記は、とたんに資料と称されて、研究される。それどころか、その多くはまた出版されて、公になる。
たとえば自分の本棚には、『ドストエフスキー書簡集』『石川啄木ローマ字日記』が並んでいたりするのだ。
そんなきわめて私的な、秘密の文書まであばいて、公開してしまう。
こんな行為は、プライバシーの侵害には当たらないのか?
そもそも原稿料ももらっていない「作品」が、無断で書籍化されタダ読みされることに、プロの作家はあの世で地団駄踏んでいるかもわからない。――
もっとも彼らもまた、薄々ながら、感づいていたのかもしれない。
過去の文豪たちの日記は、こうしてすべて残されている。そして自分もまた、文豪である。――この二つの前提から、自分の日記もやがてそうなるだろうと推論するのは、きわめて容易だからである。
自分の「秘密の手記」もまた、やがて世間の目に晒されるだろう。後世にまで読み継がれるだろう。無意識理にあるいは意識的に、そうなることを想定しながら綴っていた、ということは十分にありうる。
きわめて露悪的な、素顔の告白と思えたものも、実はそうではない。
すべてをさらけ出したと読者に思い込ませておいて、本当に知られたくない恥部だけは、しっかりと隠しおおせる。そんな巧妙なトリックが、そこにはある。
まあいわば、「見せパン」みたいなものだ。ちょっと違うか(笑)
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過去の著名人の場合は――だがしかし、これがまったくの無名人だったら? そのうえそれほど遠い昔というわけでもない、比較的最近の人物だったとしたら、一体どうだろう?
まったくの一私人にすぎない人物のプライベートが、何らかの勘違いによって文学作品にでっち上げられて、世間の目に晒される。
考えただけでもおそろしいことだが、そういうことが実際に起きたのだ。
かつて高野悦子という人物がいた。
1969年当時、立命館大学の三年生であった彼女は、自ら命を絶った。
死後に下宿先の部屋から、大学ノートに十数冊に書き溜められた、大部の日記が発見された。
その内容が父親の手によってまとめられて、初め同人誌に発表された。そして後に新潮社から、『二十歳の原点』というタイトルで出版される運びとなり、ベストセラーとなったのだ。
親族の気持ちは、よく理解できる。
娘の自死に明白な、外的な原因があったわけではない。だとしたら、ぜひその動機を知りたい。その意味を読み解きたい、という考えがまず第一に働いただろう。
その上娘の死は、あまりにも早すぎた。このまま彼女という存在を、なかったことにしたくはない。その生きた証しを、せめて作品として後に残したい、残してあげたいと考えたとしても不思議はないのだ。
加えてあのころはまだ、今のような酷薄な時代ではなかった。
青年の自死が、負け犬の自己責任として、嘲笑の対象となることはなかった。
むしろみんなが、一緒になって考えようとした。悲劇の中にも何か普遍的な意味が見い出せる、いやむしろ見い出さなければならない、と受け止められた。
だからこそ彼らの物語はそうして読み継がれ、共感されたのだ。
『若きウェルテルの悩み』しかり。藤村操の「人生不可解」(注)に至るまで。高野悦子自身も、奥浩平の遺稿集 『青春の墓標』(注)を耽読したという。
『二十歳の原点』に描かれたものも、そういう風景であった。
そこには誰しも覚えがある、青年期の煩悶がある。 理想と現実。夢と不如意。葛藤と蹉跌と失望。
足を踏み出さなければならない社会を前にして、怖気る幼い魂。汚れていく不安。詩と哲学と恋。
折しも吹き荒れた学生運動の嵐の中で、立ち位置を決めかねて、たゆたう心。……
ときに文学の香り立つような、その内容を知って、だからこそ父親は発表を決断した。亡き娘の思いを、誰もが分け持つ若者の悩みとして、また時代の悩みとして、提起したいと考えたのだ。
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そんな父親の発想は、自分にはよくわかる。
自分もまた文学やら哲学やらに、かかずらわって生きてきた人間である。日記の中に聞かれた、実存の叫びのようなものに、まったく関心がないわけではない。
だが同時に、ふと疑問に思わずにはいない。本人自身の意向は、一体どうなるのだろう? 天国にいる高野悦子がこのことを知ったとして、彼女ははたして日記の出版を、喜んでくれるだろうか?
(話は次回に続く)
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