<女性器切除>の風習

 女性器切除(female genital mutilation、FGM)というものを、ご存じだろうか 。
 アフリカやアジアの国々で、昔から広く行われている習慣である。(参考
 日本なら小学校に通う前くらいの、ごく幼い少女たちの陰核(クリトリス)を、刃物でえぐり取ってしまう。

 けっして一部の人間だけの、特別なカルトのようなものではない。
 国によっては少女たちの9割以上が、この儀式を施される。
 日本人にとっての、七五三のお宮参りのようなものだ。この通過儀礼を経ていない娘は、将来お嫁の貰い手がないとされる。

 先進の医療機関の、麻酔を使った施術ではない。
 その辺の近所のおばさんみたいのが、痛がって泣き叫ぶ子供たちを無理やり押さえつけて、カミソリか何かでそぎ落とすのだ。

     * 

 なんでそんな残虐を、押し付けるのかって?
 陰核なんて、余分なものだからである。

 子供を産むのには、もちろん必要ない。男の欲望を満たすにも、家庭内労働力として見た場合も、何の役にも立ちはしない。
 なまじそんなものがあるから、自慰を覚えたりする。婚前交渉に走る。結婚したあとだって、陰核のうずきが動機となって、夫を裏切ることもあるかもしれない。

 そんな淫心を起こさぬためには、早めに取っておくに越したことはない。
 いわば予防措置のようなもので、発想としてはBCGの注射をするのと、別に変わりはないわけだ。

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 陰核だけではない。小陰唇も切るときもある。
 あんなものが、ぱっくり口を開けているのでは、悪魔の面貌と変わらない。
 それこそ邪欲の象徴であると、受け取られているのだろう。

 そのうえときには、陰唇の大部分を縫い合わせてしまう。
 そうして結婚するまで、膣の入口あたりをふさいでおけば、防御は完璧になるわけだ。 

 虐待なんていうものではない。とんでもない人権侵害である。
 国連をはじめ多くの団体が、この悪習を問題視しているのは言うまでもない。
 だがしかし、女を男の従属物と捉えている社会では――家庭に隷属するだけの道具とみなしている文化では、必然的に起こりうることなのだ。

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 陰核さえあれば、男に依存せずに、自律的に快楽を得ることができる。

 いわばそれは、女の自立の象徴であり、それゆえに男性優位の社会においては、このうえなく忌避すべき存在となる。
 そこに何かしらの宗教的な――呪術的な色合いが加われば、あのようなおぞましい儀式となって、結実するのも不思議ではない。

 陰核は女の自立の象徴である――あの口やかましいフェミニズムの闘士たちが、毎日いとおしそうにソコを撫でまわしているのは、きっとそれゆえなのだ。(←コレは冗談 不謹慎)

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 実は女性だけにかぎらない。
 多くの宗教的世界で、性欲は望ましからざる欲動とみなされてきた。

 西洋の基督社会においても、同じである。
 子孫を残すために、行為そのものは必要不可欠であるが、快楽をむさぼるのは悪とされた。
 よがり声などをあげながら、いつまでも腰を振っているのはけしからん。とっとと済ませるのが、教会の推奨だった。
  安心したまえ。「三こすり半」の連中が、もっとも神々しい人種とされていたのだ(笑)

 性交ですらそうなのだ。
 まして繁殖とは無縁の自慰行為が、タブーだったのは言うまでもない。
 少女たちを淫欲から遠ざけるために、「ミキナス」なる着衣が発明された。
 なんでも秘所に触れることができないように、キツキツの皮のパンツのようなものを履かせるのだ。

 おしっこの穴は開けていたというから、そこはうまく裏を掻いて、尿道口の刺激ならできたかもしれない。
 ウンチの方は、どうなっていたのだろう? 
 それとも排便の時にはミキナスを脱がして、親か隣でじっと見張っていたのかもしれない。――

 男子の自慰の場合も、それは同じだった。悪魔の誘惑と、戦うことが求められた。
 たとえばペニスに、固い筒のようなものをかぶせてしまい、刺激ができないように工夫された。
 ときには電気仕掛けの筒も、考案された。
 陰茎が勃起して筒の側面に触れると、電気が流れて懲らしめるという。どうやらかのレオナルドダヴィンチの手になる、発明品らしい(←コレも冗談)
 だがしかし、この手の奇抜な商品はおおむねそうであるように、このすぐれものの機器もまた、あっさり企画倒れに終わったらしい。――

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 宗教とは無縁のわが国でも、おおらかだったのは江戸時代までだ。
 文明開化とともに、いかめしい西洋の性道徳も輸入された。

 大っぴらに性を語るのは野卑とされ、自慰は悪徳と決めつけられた。
 明治大正の文学を紐解けば、青春の葛藤なるものの大半は性の煩悶であり、またその半ばは、センズリへの自責だった。

 昭和になると、うるわしき戦後教育の成果で、すべての抑制が取り払われた。
 自慰行為も問題なしとされたが、肝心の「オカズ」は乏しかった。
 インターネットも何もない時代で、可愛い娘の露出と言えば、グラビアの水着写真が限界だった。
 「セーラー服緊縛写真集」なる、怪し気な書物をようやく入手して、胸を高鳴らせてページを繰る。
 そこではただ小太りのおばさんが、女子高生の制服を身に着けて、ヒキガエルのような表情であえいでいた(泣)

 それに比べて、今のこの世の中はどうだ。
 美少女でも無修正でも、何でもありだ。
 抑圧も、自制のかけらもない。あまりにも恵まれた環境にあった。

 あるとき昭和元禄の男子が一人、何かの間違いで、令和の時代にタイムスリップした。
 あたりに満ち満ちた、甘やかな誘惑の毒に当てられて、頭がくらくらになる。
 いったんスイッチが入ったら、その瞬間から、陰茎をしごく手はもはや二度と止まらなくなり。
 それっきり、人生終わってしまったという(←コレは本当 笑)

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