大手広告代理店。フリーランス。いろいろなコピーライターが知恵を絞り、趣向を凝らして広告を作る。
だが意外にも最強のキャッチコピーは、巷間の名もない人物の、偶然の着想によって産み出されることが多い。
まだ東京ドームが後楽園球場で、WINSが場外馬券売り場と呼ばれていたころ。
「国鉄」の水道橋駅の、西口を出たあたりには、どこか場末の鉄火場の雰囲気が漂っていた。
馬券売り場に向かう歩道橋のほとりに、小さな露店の宝くじ売り場があった。
その売り場の横断幕に、書かれていた売り込みの文句がこれである。
「大金持ちにワープ。幸せにワープ」
*
このコピーの味わいは、おそらく当事者にしかわかるまい。
そもそも場外馬券場をうろついているような連中は、うだつが上がらない貧乏人ばかりである。
もともと金があるのなら。あるいはこつこつ仕事をして、正攻法で金が稼げるのなら。何もギャンブルなんかに、はまったりしない。
それができないから――「ワープ航法」でも用いなければ、このどん詰まりから抜け出ることができないから、一縷の望みを博打に賭けているわけだ。
金だけではない。「幸せ」だってそうだ。
彼女もいない。結婚もできない。できたとしても、女房子供に相手にされない。ワープ航法にでも頼らなければ、金持ちどころか、幸せにすらなれないのだ。
それが重々わかっているから、まるで奇跡にでもすがるように、馬券売り場に走る。
そしてそこでもまた素寒貧になった帰り道に、最後の望みの宝くじ売り場に、吸い寄せられていくわけだ。
「大金持ちにワープ。幸せにワープ」
だとしたらそれは、確かに何とも身に染みる、謳い文句じゃあないか。――
*
まあこのワープのコピーには、かなり個人的な思い入れも入っている。
だがもう一つ、同じく昔の水道橋で見つけた、こちらは文句のつけようのない名作がある。
「ダフ屋」(注)と呼ばれる商売を、ご存じだろうか。
手に入りにくい、イベントなどのチケットを、転売して利ざやを稼ぐ。
今ではネットの「転売ヤー」などに取って代わられて、姿を消しつつあるようだが、当時は会場前の人込みの中には、必ず彼らの姿を見かけた。
チケットが余って、売りたがっている人から安く買い取る。そうして仕入れたチケットを、喉から手が出るほど欲しがっているファンたちに、高く売りつけるのだ。
違法行為だから、堂々と店を出すわけにはいかない。通行人たちにまぎれて立ちながら、道行く人にそれとなく声を掛ける。
目立ちすぎれば摘発を食らうし、目立たなければ客がつかない。そこの微妙なさじ加減が、プロの技なわけだ。
そんな水道橋のダフ屋の一人が、まるで独り言のようにつぶやき続けていた、客寄せのセリフがこれだ。
「ない人、あるよ。ある人、買うよ。……」
*
言わんとしていることは、おわかりだろうか?
要するに、
チケットのない人、ここに余ったチケットがあるから、お売りしますよ。
逆に余ったチケットのある人、そのチケットを私が買うので、声を掛けてください
よ。
と声掛けをしているわけだ。
簡にして要。すべての無駄をそぎ落とし、ダフ屋という自分の商売の何たるかを、実に明瞭、的確に伝えている。
前半と後半部が、実にあざやかな対をなした、珠玉の名句――長年文章に親しんできた、自分のような人間には、そのすごさがよくわかる。
豆腐屋。金魚売り。さお竹屋。――そんないにしえの、物売りたちの声が織りなす風物詩を、なつかしむ者も多い。
だが自分にとっては、このダフ屋の声こそがそれである。
「ない人、あるよ。ある人、買うよ。……」
何と美しい呼び声だろう。それを初めて聞いたときの感動は、今でも忘れられない。
たとえその声の持ち主が、ド派手なアロハシャツを着た、やに臭いヤーさんであったとしてもね。――
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