性的多様性とか言いながら ロリコンだけは目の敵(2)

 (話は前回から続く)

     *

 そもそも文明が過度に発達し、子供たちの教育の期間が、ずるずると引き延ばされた。
 中学が義務教育になったと思ったら、高校もほぼ全入となった。
 親掛かりで学校に通っているうちは、まだ子供と見なされる。子供なんだから、性交なんてとんでもない、ということになる。

 身体的には本当は、もうとっくに大人なのに。
 主体としても対象としても、不自然に「性」を封印される。
 制服という名の拘束衣を着せられて、無理やり色気を消させる。
 清らかな乙女などという、幻想を押し付ける。
 そんなやり方はすべて、歪みきった、現代の文明の病なのだ。

 江戸の時代には、15歳は成人であった。平安の御姫様はおおむね12歳ごろ、「裳着」なる成人の儀式を迎えた。『源氏物語』の紫の上が、光源氏と初めて契ったのも、そのくらいの年齢である。
 さらにその以前の時代は、言わずもがな。何が児童婚なものか。もう出産できるのだから、出産するのが当たり前だったわけだ。

 初潮を迎えた彼女らは、もはや「少女」ではない。ただの「女」だ。
 だとしたら性愛は、もちろん当たり前に行われる。
 主体としても――対象としても、ね。

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 だがこの理屈で行くと、一つ問題が生じる。
 初潮を迎える前の年齢は、一体どうなるのか?
 まだ出産不能な少女を、性の対象とみなすのは、自然の摂理に悖るのではないか?

 おっしゃる通りである。
 中高生ならいざ知らず、小学生の、ましてや低学年以下の女の子に劣情を抱くこと。
 それこそが、正真正銘のロリコンであり、変態の部類に分類してかまわない。

 だがここで、ふと思う。
 自分はロリコンではないので、ロリコンの気持ちはわからない。
 だがあの男たちは、本当に小学生に、発情しているのだろうか。
 ただその可愛らしさに、夢中になっているだけではないのか?
 花や蝶をめでる者が、変態と呼ばれないように。女の子たちの、お人形のような美しさを愛したとしても、別いいいんでないかい、という気もする。

 ちなみに『不思議な国のアリス』を書いたルイス・キャロルは、写真を趣味とし、300人を越す幼女を撮りまくった。
 中には相当数の、ヌード写真も含まれていたらしい。
 それでも、ルイス・キャロルを変態とする話は、あまり聞かない。
 ルイスが詩人で、作家で、微笑ましい物語をたくさん書いたからというだけで、特別扱いをするのは理にかなわない。
 きっと世の普通のロリコン諸君も、同じように、心の美しい人たちなのかもわからない(笑)

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 いや、もちろん、そうではないかもしれない。
 ロリコンたちはけっして清らかなどではなく、実際幼女に勃起して、ハーハー言っているのかもしれない。
 だとしたらそれは、もちろん変態ではあるが、人倫に反するとまでは言えないだろう。
 それが何の実害も、伴わない形で行われているかぎり。人畜無害のものであるかぎり。
 それはあくまでも個人の嗜好であって、他人の指弾するような余地はないのである。

 SMやスカトロマニアは、もちろん変態だ。いかがわしい。自分には理解できない。
 でもそれは別に、違法なわけでもないし、不道徳だとも思わない。
 へたに周囲が干渉すれば、逆に人権侵害になりかねない。
 LGBTを気持ち悪いと言うだけで、あれだけ世論に叩かれるわけだ。(注1)注2)スカトロがおぞましいなんて言ったら、きっと暴動がおこるだろう(笑)
 スカトロの方々に、失礼じゃないか(笑)

 ロリコンだって、同じことだ。
 たとえ彼らが、相当フライング気味に、小学生に発情していたとしても。
 それが特別な、実行行為につながらないかぎり、不埒とは言い切れない。
 我々とは違う、いわば異星人の話と考えて。そんな生殖のしかたも、あるのかもしれないと、納得しておけばいいだけの話である。

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 さて、もちろん問題は、それ以外の場合だ。つまりは実行行為を伴い、実害をもたらしかねないケースである。
 それについては、また次回に。 

 (話は性的多様性とか言いながら、ロリコンだけは目の敵(3)に続く)

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