「LGBTトイレ問題」のあまりにも自明な解答(2) 

 (話は前回から続く)

 人はその属性で、語られるべきではない。
 性別や出自や、年齢のようなものを持ち出して、ひとくくりにするのではない。区別をするのではない。
 一つとして同じもののない、かけがえのない「個」として、すべてが対等に扱われなくてはならない。――

 そんなごもっともな理念を、声高に唱えながら。なぜか女子トイレにだけは、こだわりが捨てきれない。
 誰もがへだてなく利用できる、ジェンダーレスが理想のはずなのに、こと浴場のこととなると、とたんに腰が引けてしまう。

 履歴書の性別欄はなくせ、写真もいらない、と主張する。そのくせ女子スポーツも、女性専用車もやめられない。

     *

 彼らは何だってそうして、いつも論理的一貫性を、欠いているのか?
 理由は明らかだ。頭が悪いからだ。
 頭の悪い人間は、旧習を抜け出せない。生まれ育った社会の常識を、離れることができない。
 スウェーデン人は「どうしてトイレが男女別なの?」といぶかしむ。日本人は「どうして女子トイレがないの!」と騒ぎ出す。ただそれだけのことなのに、自分たちのやり方が正しいと、信じ込んでいる。

 これまでにない、新しい状況を想定する。可能性として、受け入れた上で吟味する。
 そんな習性が知性の証しなのに、彼らにはけっしてそれができない。
 制度でも街でも、まったく新しい社会設計をすればいいだけなのに、そんなことは思いもよらない。

 馬鹿にとっては、未知の状況は恐怖でしかない。それはもはや検討の対象ではなく、嫌悪の源でしかないからだ。
 この自分の提案だって、どうせ誰も耳を貸さない。これまでと同じように、また例の変人のたわごとだと、相手にされない。
 そして相変わらず、LGBTのトイレはどうするか、喧々諤々の議論と、混迷が続くだろう。

     *

 これまでと同じように、――このブログでも、社会を悩ます諸問題の、あまりにも自明な解答を何度も提示してきた。
 だがそんな賢者の言葉も、ただの極論として葬られた。 
 というより、初めから誰も読まなかったわけだが(泣)、ここにおさらいとして、未練たらしく再録しておこう。

 少子化対策で、岸田政権がてんやわんやです。――人類を悩ませる課題は、人口の過剰であって、減少ではありません。わが国の域内だけを考えるなら、移民を入れればいいだけの話です。(ここを参照)

 生活保護や年金制度、セーフティーネットの問題が絶えません。――ベーシックインカムを導入するだけで、すべてはあっさり解決します。(ここを参照)

 女性の生理について、男性の理解が足りません。――生理なんて、少産の時代の、ただの文明病です。ピルを飲んで、根治しましょう。(ここを参照)

 学校でいじめが深刻です。――警察の手に委ねて、犯罪者は即逮捕しましょう。(ここを参照)

 世の中の犯罪がなくなりません。――罪の軽重の概念を捨てましょう。すべての犯罪に、死刑の可能性を設けて威嚇しましょう。(あ、これはまだ投稿していない。これから書く予定 笑)

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 まあどうせ今回もまた、結局こんな投稿、誰も読んじゃあいないんだろうが。――

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