天声人語が、名文とされているらしい。文章のお手本なんだそうだ。
朝日新聞社が「天声人語書き写しノート」なるものを、販売している。それを使ってあちこちの学校が、授業やら課題やらで、書き写しを実践しているという。
国語力の向上のためと、まるで写経でもするように、ありがたがっているんだと。
小中学校の話かと思ったら、予備校あたりでも小論文対策と称して、採用しているところがあるらしい。
どこの馬鹿大学受けるんだよ、って話さ。
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勘違いもはなはだしい。
天声人語なんて、本当は駄文の見本だよ。
それはそうだろう。
天声人語を読んで、感動したことがあるかい? 天声人語で人生変わった、というやつがいるかい? いるわけないよね。
夜を徹して、書物を読みふける。その朝に、世界の彩りが変わって見える。人生の転機となる。――そんな読書体験をしたことがあるだろう。
そうして存在の根幹を、震撼せしめる力を持つものが、本当の名文というもんなんだよ。
もちろん世の中、そんな高級な読み物ばかりではない。ただ知識を与えるだけの、記事があってもかまわない。
だが天声人語には、それさえまったくない。
あそこに一体、どんな情報が含まれていると言うんだい? 毎回披露される、どうにもつまらない蘊蓄を除けば?
あんなものに比べたら、ご近所の回覧板の方が、はるかにお役立ち情報なんだよ。
感動もなければ、情報もない。だとすれば一体、それは何のための文章だろう?
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名人のお手並みを、見せびらかすためだけに書かれたような、空っぽの文章さ。
テーマは結局、いつだって決まっている。平和の大切さ。尊い命。歴史が勝ち得た自由が、いかにかけがいがないか――耳にタコができるくらい聞かされた。どれも千篇一律、何の新しい発見もない。
もちろん異論はないよ。おっしゃる通り、平和は大切です。命は尊いです。
でもそんなこと、あらためて他人から言われなくたって、わかりきったことじゃあないのか?
1+1は2であると、誰でも知ってる答えを確認するために いちいち解説を読まされる方はたまったもんじゃあない。
もちろん気の利いた意見なんて、書きたくとも書けないんだろう。
読者数400万の全国紙だもの、ちょっと過激なことでもを言おうものなら、たちまち抗議が殺到するのはわかっている。
いや、ごくごく常識的な主張でも、主張というものをした時点で、どこかしらから文句がつくもんだ。
だから誰からも嫌われないように、当たり障りのない公式を、繰り返すしかない。
そんな事情は十分わかっているし、それはそれで同情の余地はあるんだが、無意味な駄文であることは何も変わりはない。
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天声人語の悪口は、まだまだ次回も続く。
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