「無縁遺骨」があふれかえる

 身寄りも資産もない人間が、――まあ「オレみたいな」とは言わないが、いわゆる負け犬の独居老人が。孤独死したらどうなるか、想像できるかい?
 行政が費用を負担して、簡素な葬儀を行う。
 遺骨は骨壺に入れて、無縁墓地に合同埋葬するわけだ。

 昔はそれでも、別にかまわなかった。そんなことは、あったとしてもレアケースだったから、問題にならなかったのだ。
 だが近年、この無縁遺体がとみに増加して、収拾がつかなくなっているらしい。(注)

 原因はもちろん、明らかだ。
 切り捨て社会。小家族化と、未婚の時代。地元の交流も、近所付き合いもない。
 すべてが行き着くところまで行って、ひとり身の困窮者が、当たり前のように野垂れ死にしているのだ。

 地縁も血縁もないから、無縁になる。
 血族らしきものがいても、絆はない。遺体の引き取りを拒否する、というのだから救いようがない。
 そんな世相を、いまさら嘆いてもせんかたないが、現実の問題がある。
 遺体の処理が、もう追いつかないのだ。
 市町村が負担する、葬祭費用も膨れ上がり、予算が足りなくなる
 そもそも骨壺を、収容するスペースも満杯になり、あふれかえりそうなのだ。

 喫緊の課題に直面して、自治体は途方に暮れているそうだ。
 だがしかし、――
 そもそも遺体って、一体何なんだろう? 葬儀なんて、墓所なんて、本当になくてはらない、大切なものなのだろうか?

     * 

 形代かたしろにすぎないものに、呪術的な意味を見い出す。それが太古の人間たちの、メンタリティーだった。
 人形ですらそうだったのだから、ましてや人の肉体を尊び、遺体さえ丁重に葬ったのは当然だった。 
 来世の復活には肉体が必要であると考えて、エジプト人はミイラさえ作り、懸命に形を保とうとした。

 だがしかし、科学と理性の時代の、私たちは知っている。
 人間の本質は、その肉体ではなく、精神にある。身体なんて、命が宿る器でしかない。
 魂の消えたあとの死骸は、ただの物体であり、塵芥であるにすぎない。だとしたら、ただそのようなものとして・・・・・・・・・・、扱ってかまわない。
 蒙昧の時代の、迷信にすぎないような風習を、いつまでも引きずっていてはいけない。簡素な葬儀くらいはともかく、遺骨の保管も、墓所も必要ない。
 お墓参りで抜け殻に手を合わせるなんて、原始人かよ、とツッコミたくなる。

 墓所がなけれぱ、故人をしのぶ、よすががなくなるって?
 頭の中の追憶だけでは、思いを致せないのか? だとすれば、ちょっと想像力が欠如している。
 それでもどうしても、依り代が必要だというのなら、そんなものは遺影さえあれば十分だろう。
 その上今は、デジタルの時代だ。
 ちょっと前、紅白歌合戦で 「バーチャル美空ひばり」が登場したろう。
 あれをさらに進化させて、ホログラムやらVRやらを用いれば、面影なんてハードディスクのデータから、いくらでも再現できる。
 そもそも無縁仏になるような連中は、しのんでくれる人間もいやしない。初めから。そんな気の利いたことを、考えるも必要ないわけだ。

     *

 魂の消えた後の肉体なんて、生ごみと一緒に、捨ててしまえばいい。――
 
 こんな言い方をすると、負け犬の困窮者への、差別に聞こえるかもしれない。あるいは自分もその一人であると仮定するなら、ずいぶん皮肉な自嘲ではないかと。
 だがしかし、勘違いしてはいけない。ことさら負け犬のことを、言っているわけではない。
 勝ち組の大金持ちだって、遺体には何の意味もない。生ごみであることには、変わりはない。
 ただ自分が自分の金で、手厚く葬られたいと願うなら、それはもちろん本人の勝手だ。どうにでも、好きにすればいい。
 たがそれができない連中を、公費を注ぎ込んでまで、丁寧に埋葬する必要なんてどこにもないはずだ。

 もちろん「生ごみ方式」は、単なる言葉の綾だ。
 本当にそんな政策を取ったら、顰蹙ものだ。とうてい国民のみなさまの、ご理解はえられないだろう。
 だったら、これならどうだ。
 遺骨は粉砕機で、目いっぱい細かく砕く。バイオディグレーダブル(注)な形にして、骨壺などには入れずに、そのまま共同無縁墓地の、土に返せばいいんだ。
 そうすればどんなに注ぎ足したって、スペースはあふれはしない。
 どうだい? これならさほどドン引きされない、ずいぶん現実的な提案だろう?

     *

 いやいや、さらにもっとずっと、すばらしいやり方もある。

 近年は「散骨」というのが、流行りだそうじゃないか。
 火葬した後の焼骨を粉末にして、海や山に撒く――美しい自然に還り、宇宙と再び一体化する。相当ポエムで、どこか宗教的な葬送だ。
 自ら遺言して、散骨を希望する故人も、とみに増えているらしい。

 だとしたら、無縁遺骨の処分も、これでいけばいい。
 粉砕した骨を、どこかの海に撒いて送る。――
 まあ本当は、やっていることの本質は、生ごみの処理と何も変わらない。
 でもこんなおしゃれなやり方なら、もう人間の尊厳がどうだとか くだらない文句をつけてくる者もよもやあるまい。

 散骨される当の本人たちも、まんざらじゃないと思うよ。
 何しろ生まれてこの方、ずっとみじめなだけの人生を送ってきた、負け犬ばかりだ。
 遅ればせながらこうして、ようやく美しい最後を飾れたことを、さぞかしあの世で喜んでいることと思うよ。
 まあもちろん、オレもきっとそんな悲しい無縁仏の、一人になるんだろうけどね(笑)

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