風俗女に金を貢がせる、ジゴロと言えば。
さぞかし「あっち」の方も、達者なんだろうな、と想像する。
二度と離れられないように、女の肉体を虜にして、つなぎとめておく――まあ、ありがちな、ステレオタイプである。
もちろん現在でも、そういう輩が、いないわけではない。
だからと言って、そんな肉の技巧が絶対に必要だ、というわけではないのだ。
考えてみるとよい。
少なくとも、本番行為のある風俗の場合。女の「体」は、少しも飢えてはいない。
むしろもう、うんざりしている。毎日、仕事仕事で交わっていて、すっかりげんなりしている。
だとしたら、たとえ好いた相手とでも、いまさら特別にそれを求めるというわけでもないのだ。
むしろ乾いているのは、「心」の方だ。
それこそ砂漠のように乾いてしまった心に、いささかばかりの潤いをもたらしてくれる、やさしい一言を掛けることができたら――それだけでもう、女たちはたちまち、ぐらりときてしまうものなのだ。
*
エッチをしない、ジゴロがいる。
その手口はこうだ。
狙いを定めた風俗嬢のところに、熱心に通い詰める。もちろん「本指名」で、である。
それでも体に、指一本触れることはない。互いに服も脱がない。
「別にオレは、そんなんじゃないから。ただ癒やされに、来るだけだから」
と称して、楽しく会話をして帰る。もちろん料金だけは、しっかりと払って。
こんな人もいるんだ 、と女の子も最初はびっくりする。だがだんだんと、術中にはまってくる。
体だけが目当てで通ってくる、他の客とは違う。
この人には心がある。特別な存在だ、と思いこませる。
そうしていったん、妄想に火がついてしまえば、もはやとめどない。
この人にとっては、自分は「処理」の「道具」ではない。一人の人間として、向き合ってくれている。
体ではなく自分の心を、たましいを、「愛して」くれている。――
どんな仕事についていようとも、夢見る乙女の純な心は、そう簡単には失われない。
とたんに少女漫画の、甘いロマンスが芽生える。
そうなれば、もうこっちのものだ。
あとは一気に落とす。食い物にし、むしりとる。
ただそれだけのことなのだ。
*
体で女を落とす場合、どうしても「義理マン」となる。
他に女の代わりは、いくらでもいるというときに。「中の下」クラスの相手をするのは、けっこうな苦痛である。
俺はロマンチストだから、と真っ赤な嘘をついて電気を消して。顔を見なくてすむように、真っ暗の中でエッチをする。
めでたくヒモに収まったあとも、「お仕事」は続く。はい、恋愛ごっこはもうおしまい、というわけにはいかないのだ。
相手を物にしたとたん、冷たくなってしまっては。「やっぱりお金が目当てだったのね」と、こちらの魂胆を見抜かれてしまう。すねられてしまう。
たまにはやさしい言葉を掛けながら、抱いてやらなくては波風が立つ。
それに比べて、「エッチをしないジゴロ」の場合はどうだ!
初めからそんなすべての厄介を、免れることができる。
めでたくヒモに収まったあとも。
――こうして一緒に暮らしているのだから、もう全部あなたのものなのに。それでも、指一つ触れないのね。
何て、すてきな紳士なの。
同棲するのも、結婚するのも、体目当てではないのね。
そんなに私を、大切に思っていてくれる。好いていてくれるのね。……
と、ますます瞳に星を宿しながら、男にのめりこんでいく。
*
女って、何でこういつも、愚かしくも健気なんだろう!
そんな彼らのいじらしさを、少しでも理解している男なら。
まるで魔法のように、いつでもいいように、女心を操ることができるのだ。
女なんか、ちょろいものさ。あいつらがいるかぎり、この世は俺の天下さ。
と勝ち誇ったジゴロの高笑いが、今にも聞こえてきそうだ。――
参考過去投稿:
<ホストクラブ問題>「女のヒモ」にも種類がある
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