ウジ虫どものネット叩きが、ついに神事にまで及んだ。(注)
三重県の神社の「上げ馬神事」が、動物虐待だ、とやり玉に上がった。
馬に無理やり、急坂をのぼらせる。挙げ句のはてに、最後に2メートル近い壁を乗り越えさせる。過酷すぎる、というわけだ。
そのうえ今回、馬が骨折し殺処分となったことで、ネットが沸騰した。
祭の関係者が、つるし上げられた。例によって匿名の「電凸」のおかげて、店舗が休業に追い込まれた。
主催者は抗議の声に耐えかねて、再検討と改善を約束した。
それでネットの正論屋どもは、自分たちの力を見せつけた、と勝ち誇っている。
またしても、味を占めてしまったわけだ。
そんなやつらの横暴が、あまりにも目に余るので、ここは猪名部神社の神様に代わって、しっかり反論しておこう。
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まず殺処分という言葉が、あまりにもおどろおどろしく聞こえたろう。
馬というのは人間と違って、いったん骨折したら、治すことはできない。
あとはもう、苦しみ悶えて、死んでいくしかない。(注)
そんな苦しみを取り除いてやるために、薬物による安楽死を処方した。
そもそも、骨折させたのが悪いんだろう? それはその通りだが、骨折→安楽死なんていうのは、競馬では当たり前に起きている事故だ。
もしそれが残酷だ、けしからん、と言うのなら。まずはJRAに抗議して、競馬を廃止にするべきだろう。
上げ馬にケチつけているヤツにかぎって、競馬場でアイドルホースに声援を送っていたりする。感動のレースだなんて、ほざいている。
競馬は自分たちも楽しむ、オシャレなレジャーだからかまわない。上げ馬なんて、ただの田舎の古臭いお祭りじゃないか。――そう思っているなら、手前勝手もはなはだしい。
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そもそも動物虐待とか言っているやつは、牛肉豚肉を食ってないのか?
昨日はおいしいステーキに、舌鼓打ったんじゃあないのか?
牛肉は屠殺場で、牛を叩き殺して作っているんだ。そっちの方が、どう見たって残酷だろう。
こんなことを言うと、やつらは必ず、利いたふうなセリフで言い張る。
「食事は生きていくうえで欠かせない、必要なことです。いつでも感謝しながら、他の生き物たちのいのちを、いただいているのです」
だがしかし。たとえ食事は不可欠だとしても、牛肉豚肉は不可欠じゃない。
動物愛護と言うのなら、まずは完全ベジタリアンに、なるべきだろう。
それをしていないなら、お前らの主張は例によって例のごとく、論理的一貫性を欠いているんだ。
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そもそも「食事は必要だから特別だ」という、論法が気に食わない。
その昔、世界一の有名人が言っていただろう。
「人はパンのみにて生きるにあらず」って。
人間が生きていくには、メシを食うだけじゃ足りはしない。もっと精神的な充足や、価値というものが「必要」なんだ。
その価値の最たるものが、宗教なんじゃあないのか?
どうでもいいような無価値な伝統なら、たちまち立ち消えになってしまう。
上げ馬の神事が680年も続いているのは、そういう意味で「必要」だからなんだ。人間の「こころ」にとって、不可欠だからだ。
あいつらには、そのことがわかっていない。
胃袋と生殖器だけで生きている連中なので、およそ精神性という概念が、理解できない。
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その昔、プロ野球の優勝チームのビール掛けに、イチャモンをつけたやつもいた。
食べ物をむだにするなんて、もったいない。けしからん。今日の食事にも事欠く、恵まれない子供たちの気持ちになってみろ、と。
馬鹿かよ?
アルコールと言うのは、慶びのために飲む。精神の高揚のための飲み物だ。
だとしたらそれを口から入れようが、頭からかぶろうが、このうえない喜悦をもたらしてくれるなら、どちらでも同じことなのだ。
恵まれない子供というのなら、お前らのステーキを分けてあげれば、いいだけの話だ。
だがしかし、胃袋と生殖器だけで生きている連中には、そのことが理解できない。――
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(話は次回に続く)
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