ニコチン中毒に、なってしまってからでは遅い。
まず最初の取っ掛かりのところで、どうして若者たちはタバコなんて、あんな苦いものを口にしてしまうのか?
最初の一口が、おいしいわけはない。それ以前に最初の一口を吸いたいという、肉体的な衝動があるはずもない。
それなのにタバコに手を出してしまうのは、「カッコいい」からである。大人っぽく振舞いたいからである。
早く大人になりたいという願望は、少年期の全体を、もっとも強力に支配する欲動だ。
そこに持ってきて、喫煙は大人にだけ許された習慣だから、まねをしたくなるわけだ。
もし逆に喫煙がタブーでないとしたら、子供たちにも許されていたとしたら、かえってやってみたいとは考えないかもしれない。
もしその逆に、赤ん坊たちが電子タバコを「おしゃぶり」しているような、姿を見なれていれば。
俺たちはもう大人だ。いつまでも赤ん坊ではない。あんなカッコ悪いことは、もうおさらばだと、中学生たちは断固、禁煙を決意するにちがいないのだ。
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年齢だけの話ではない。
たとえばイケメンの俳優が、渋い顔をしながらタバコを咥えている。そんな動画を見れば、キマってると思ってついまねしたくなる。
実際に昔は、その手の動画を使ったタバコのCMが、当たり前のように流れていたものだ。
さすがに近年はCMは規制されたが、映画やテレビで同様のシーンがあれば、同じような悪影響を及ぼすにちがいない。
喫煙シーンのある映画は「R指定」にすべきだと、WHOが勧告したというのも当然なのだ。
カッコ悪いと感じたら、けっして手を出さない。カッコいいと思ったら、すぐにやりたくなる。
それが若者たちの行動基準だ。
健康に悪いとか、他人が迷惑だとか、法律に違反しているかとか。そんなことはクソくらえなのだ。
若者を喫煙から遠ざけたいと思ったら、それがいかにみっともない行いかを、教え込むことだ。
公共広告機構でも何でもいいから、その逆の、反タバコのCMを流せばいい。
こきたない、いかにもヤニ臭そうなこ〇きジジイが、シケモクにしゃぶりついている――そんなシーンを見せつけておけば、若者たちの無意識に、確実に語り掛ける。
自分は絶対に、あんなふうにだけはなりたくない、と。
彼らはもそれから後は、もう2度とタバコに手を出そうなどとは、思わなくなるにちがいない。
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若者は大人たちの作った枠組みを、壊そうとする。価値観を拒もうとする。
大人がやれと言えば、反抗する。大人がいけないと言えば、やりたくなるる
だから若者を教育するときは、善悪を説いてもむだだ。
彼らは道徳では動かない。理性でも、損得勘定でも動かない。
彼らを動かすのは、よくもあしくもその美学だけなのだ。
「悪(ワル)」には憧れても、「かっこ悪」にはけっして近づかない。
若者を教導するつもりなら、ひたすら彼らのそんなメンタリティーに、訴えかけることだ。
やるべきことは、それがいかにカッコいいかを示す。やってはいけないことは、それが世にもみっともない行いであると印象づける。
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喫煙はあくまで一例だ。
万引き、いじめ、飲酒、薬物。
教師は必死になって、なぜそれがいけないか、理由を説こうとする。それが見当違いなのだ。
イケてる大人は、けっしてそんことはしない。すべては とてつもなく恥ずかしい、ガキっぽい行いであることを、あの手この手で潜在意識に刷り込むのだ。
そうすればきっと、彼らの美醜の嗅覚が反応する。
たとえば麻薬撲滅のキャンペーンには、田代まさしを起用することだ。
すっかり頬がこけて、舌がもつれたインタビューや。
手の震えが止まらずに、得意のギャグさえ完遂できない、変わり果てた姿。
そんなぶざまなシーンをそのまま流すだけで、もはや言葉はいらない。ただただ映像が、
すべてを物語ってくれるにちがいないのだ。――
参考動画: ここ
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